米軍関係者によるイラク人虐待写真と監獄実験

嗜虐性は簡単に箍を失い、そして簡単に伝播する。

人が悪魔になる時――アブグレイブ虐待とスタンフォード監獄実験(1)」を読んで、当時ニュースになったときの厭な感じをまざまざと思い出した。それは汚い人間を目にした嫌悪なんかではない。状況が人をここまで変えてしまうという現実に対する恐怖である。ぼくはもちろん彼らのことを知らないけれど、生まれついての鬼畜だとは思えない。異常な環境が彼らを異常にした。それだけのことなんだろう。それはとりもなおさず、ぼくの身の上にも起こり得るということでもある。ちなみに、監獄実験絡みでいうなら“es[エス]”というドイツ映画は相当に怖い。

1971年のスタンフォード監獄実験で、看守役の被検者らは極短期間で嗜虐性を発現している。被験者は公募の70名から選ばれた。性格や嗜好に特別なバイアスがかかっていたとは考え難いといわれている。それでも看守役による囚人役に恥辱や精神的苦痛を与えるような行為は簡単にエスカレートし、当初2週間の予定だった実験はたった6日で中止されたという。これほどに人間は環境や、与えられた役割に左右される。むしろ、自分本来の性格なんてものはないのかもしれない。それこそ、現在の環境が生み出した役割を自然に果たしているだけということはあり得る。

派兵された米軍関係者らにとって、2003年辺りのイラクの地がどういう場所だったのか。遠くテレビの向こうの話でしかなかったぼくなどには知るよしもない。けれども、収容者たちに同性愛行為を強制したり、性器に電気ショックを加えて強姦したり、虐待や暴行の現場でポーズを決めて写真撮影する程度には狂っていたんだろう。その程度には戦場だった。戦場は人を殺すだけじゃない。人を壊す。もちろん、だから虐待行為に耽った兵士たちに非がないなんていうつもりはない。けれども、彼らを戦場に送り込んだ張本人に罰せられるのでは救われないとも思う。

正常だ異常だというのはものさし次第である。人を壊すという表現をしたけれど、これも極めて一面的な捉え方でしかない。たとえば、彼らは壊れてしまわないために異常を受け入れたとも取れる。防衛本能が暴力に転化される。ありふれた話だ。昨日まで快適なアーバンライフを送っていた人間が、敵を物のように扱わざるを得ないような見知らぬ地の戦場に送り込まれる。環境ストレスは海外出張の比ではないだろう。普通生きていれば死体を見ることなんて滅多にない。死体も疫病も大盤振る舞いな土地だというだけで、ぼくなど平静でいられる自信はない。

彼らはただ正常に狂っていったんじゃないか。想像して、ゾっとしてしまった。

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