ホームレスの排除と差別は隣接するが同一ではない

差別は美しくない。できればそんな気持ちを抱かずに生きたい。そうは思う。

図書館がホームレス排除に苦心しているとかいう件についての私からの提案 - planet カラダン
差別問題としてのホームレス問題 - planet カラダン

ただ、社会が公共の利益のために行う措置と、差別感情とは分けて考えた方がいい。図書館という公共施設がどういう公共の利益を提供すべきかについては、その図書館を有する社会が決めるべきことだ。図書の閲覧、貸出にこだわらず、ホームレスの生活改善にも役立てるべきだという合意が得られるならそのように運用されるだろうし、逆に、図書館は貸出のみにすべきという合意が得られれば館の規模を縮小し閲覧スペースを削るという選択もあるだろう。そうした運用方針が結果として、図書館にそれ以外の利益を期待する層の利用を制限することになる。それは、はたして差別だろうか?

社会のルールによってすべての人の利益を守ることはできない。ホームレスに限らず、殺人犯も強姦魔も人間であり人権を有すると考えるのは至極真っ当である。どんなに凶悪に見える人間だって、どんなに怠惰に見える人間だって、差別を悪と規定する以上差別すべきではない。けれども、連続強姦殺人犯は社会から排除されるだろう。それは差別ではない。強姦や殺人によって得られる個人の利益は、社会が考える公共の利益に反する。だから、排除される。強姦しないと狂死するという已むに已まれぬ理由があったとしても、そのために強姦が公共の利益として正当化される可能性は低い。

つまり、差別はいかなる理由によっても認められないという主張と、図書館の利用目的を制限すべきであるという主張は両立する。ふたつめのリンク先でRomance氏はホームレスの自己責任論を否定しているけれど、そんなことをするから議論が錯綜するのである。たとえ自己責任であっても差別してはならないと主張すべきなのである。Romance氏の反論は自己責任であれば差別を容認する態度と取られかねない。また、排除の問題は自己責任であるか否かだとか、背景にどんな社会構造の不備があるかといった問題とは切り離して論じなければ、あたら議題を増やし複雑化するばかりである。

社会という人間の集団は、全構成員の利益を最大化しようと努める。けれども、個々人の利益はあらゆる局面で対立する。どちらの利益を尊重すべきかを決めることは、どちらかの利益を制限することに通じる。尊重すべき利益の妥当性を社会の構成員の合意によって定めるのが民主主義というものだろう。それを差別と呼ぶのは乱暴だ。ただ、あるルールが特定集団の差異を明確化し、差別を助長する可能性はある。たとえば、被差別部落への長年に亘る免税政策が納税者からの差別的視線を再生産するようなケースもある。つまり、保護も排除も同程度に差別を助長する可能性を持っている。

図書館からのホームレス排除は差別を意味しないし、保護が差別を生まないわけでもない。


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ホームレス差別、貴方が一番していませんか? - m-birdとFreeBSDの同棲日記
#差別意識そのものを話題とすることの困難が面白い議論を呼んでいる例。コメント欄含めて。

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comment - コメント

こんにちは。
言及された記事については、相手の議論の道筋が余りにもずれて行っており、それが目に余る事だと感じたため、それをすべて片端から言及していったものでした。
仰るとおり、その結果"差別意識そのもの"についての議論に波及していってしまっている点については、反省しなければと思っています。

また、非常に的確な、また簡潔なエントリで、素晴らしいと思いました。今回は、TBを有難うございました。

> m-birdさん
差別意識については誰にとってもデリケートな問題で、真摯に考えるほど自身を省みざるを得ない点でも困難なテーマですよね。ですから、違和の表明から差別意識へと議論が流れたことについては、m-birdさんの本意ではなかったかもしれませんが、なんらマイナスではなかったろうと思います。
Romance氏の記事を発端になされた個々の応酬は、議論としては散漫かつ杜撰だといわざるを得ませんが、多くの論点を提出しているという点では非常に興味深いものでした。

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