「○○にハマる人は寂しい」というお手軽便利な分析のススメ

人間はいつでもどこでも孤独を感じられる生き物だ。

渋谷にアムウェイの人たちがよく集まるカフェがある - ハックルベリーに会いに行く

リンク先のM氏の分析によるとアムウェイにハマる若者の多くは寂しいのだという。なるほど、そうかもしれない。そのこと自体を否定しようとは思わない。何故なら、人間はみんな寂しいものだからだ。その昔、「援助交際する中高生は寂しいのだ」という言説が罷り通っていた。何か問題行動をする人たちを見付けたらとりあえず「彼ら(彼女ら)は寂しい」といっておけばいい。だいたい当たっている。本当は問題行動を起こさない人だって寂しいのだけれど、それらしい分析をくっつけておけばそれらしく見えるのが「○○にハマる人は寂しい」というテンプレの便利なところである。

ネット依存でネガコメを付けまわったり炎上屋を開業したりする人の多くは寂しいのだし、新興宗教にハマる人の多くは寂しいのだし、ワーカホリックになる人の多くは寂しいのだし、自宅をゴミ屋敷にしてしまう人の多くは寂しいのだし、借金してまで着もしない服を買い込みまくる人の多くは寂しいのだし、誰とでもすぐに寝る女の多くは寂しいのだし、鬱になる人の多くは寂しいのだし、無差別連続殺傷事件を起こすような人の多くは寂しいのである。どれもたぶん、間違ってはいない。あとはそれぞれの事例に特有の癒し効果を説明してやればいい。説得力を持たせられれば成功である。

リンク先の例では、頻繁に携帯が鳴ることによる癒しが謳われている。個人的な感想をいえば、ちょっと苦しい分析である。携帯依存型の寂しがり屋がたくさんアムウェイにハマっているというデータでもあれば別だけれど、ぼくが過去に勧誘されたり集会に参加したりした狭い観測範囲では、割りにアムウェイ以外のコミュニケーション範囲も広いリア充タイプが多かった。それに、アムウェイは携帯依存社会になる以前からそれなりに幅を利かせていたし、密なネットワーク構築が携帯の普及で促進されたという側面はあるにしろ、携帯依存とアムウェイの成長の相関はにわかに信じがたい。

それよりも、彼らの「グループの仲間みんなで豊かな人生」というノアの方舟的ユートピア思想や、善なるアムウェイへの信仰心といった辺りの実態をフィールドワークする方が、若者の寂しさとアムウェイ依存の相関について面白い推論が立てられそうな気がする。まあ、今更アムウェイに潜り込んで観察するような気力も体力もないぼくがいうことじゃないけれど。ともあれ、寂しさからビジネスを考えるなら、まず、多様な寂しさをある程度整理体系化し、どの種類の寂しさにどんな癒しを提供するかという視点が必要だろう。アムウェイの寂しさビジネス論も、もっと面白くなると思う。

寂しさは全人類共通の感情で、それ故に多彩だ。分析の腕はその先の展開にある。


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