『あまちゃん』と、暴力と、浄化された世界

今朝の『あまちゃん』には、正直、うるっときた。

わかりやすくズレた相似形で描かれてきた「夏と春子」、「春子とアキ」、それぞれの親子関係を過去の呪縛から解き放つ「故郷編」のクライマックスである。25年間かけ違え続けたボタンを、ケンシロウのごとく革ジャンごと破り捨てた“夏ばっぱ”の男気に惚れないわけにはいかない。ほとんど母子家庭に近い環境で春子を育てた夏だからこその格好よさである。父親不在の家庭の母親がいわゆる「父親」のような振る舞いをするというのは、とてもわかりやすいしリアリティもある。ドラマ的なイメージでいうなら、25年前の夏の振る舞いは「父親」そのものだ。本当は応援してやりたいけれど、立場上そういうわけにもいかない。世間の利害と我が子を思う気持ちの板挟みになって、結局、何もいえずに黙って春子を行かせてしまう。典型的な昭和の父親像だろう。一方、春子が求めたのは「母親」としての夏である。出て行こうとする娘を引き留めるのも、世間を敵に回してもあなたの味方だといって応援して送り出すのも、いかにも「母親」らしい振る舞いである。それを得られなかった春子は、極端に「母親」であろうとする。これもわかりやすい。春子は、夏の中の「父親」と和解することで、自らもアキに対して「父親」役を演じるという選択肢を見つけることができるはずだ。ともあれ、夏から春子に継承された依怙地の根は断たれた。まあ、東京編に向けての予定調和といえばそれまでなんだけど、ああいうシーンが嘘っぽくならないのは、やっぱクドカン巧いよねってことなんだと思う。

うん、朝ドラが面白いと朝から明るい気持ちになる。

なんか、タイトルの件はもういいかなって気になってきた。いや、やっぱり覚書程度には書いておこう。…少し前に、『あまちゃん』は母親による虐待を描いている、というような話が拡散されているのを目にした。似たような話で、2代にわたる「毒親」の物語だ、みたいなものもあった。上に書いたような見方をしているぼくには、ちょっとショッキングな解釈だった。親も、親の親も、誰ひとりとして完璧な親ではなかったし、これからもないだろう。子どもと同じようなことで悩みもするし、感情的になって間違ったこともする。そういうありふれたことを、とても巧く、しかも面白く表現しているなあと思って、ぼくは『あまちゃん』を見ていた。確かに春子は感情の起伏が大きめだし、それが口にも手にもでやすいタイプだ。けれども、あの程度の描写は、ドラマ的なデフォルメとして十分に妥当な範囲だと個人的には思う。が、ぼくが「不器用に葛藤する母親」と見ている同じものが「娘を虐待する母親」に見えている人がいる。これはなかなかの衝撃だ。実は、前にも似たようなことはあった。いつだったか懐かしのドラマを紹介するようなテレビ番組で、出演者のひとりが『俺はあばれはっちゃく』を見て虐待だとコメントしていたのである。描写でいえば『あまちゃん』の比ではない。「父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」とは東野英心のキメ台詞だけれど、あれを文脈を欠いた暴力、児童虐待として嫌悪する感性は、それほど特殊なものではないのだと思う。健全といえば、とても健全な感性である。

もちろん、暴力はいかなる文脈においても「間違った行為」だ。その前提については疑うべきではない、とぼくも思っている。それは「人を殺してはいけない」ことに明確な理由がないのと同じことだ。暴力でたまたま子どもが真っ当に育とうが、運動部が強くなってインターハイで優勝しようが、その手段が正当化されたり許容されたりするべきではない。間違った方法でもうまくいくことはままある、とういうだけの話だ。そうした前提で『あまちゃん』を見ても、ぼくはやっぱり「虐待」だの「毒親」だのという見方をする気にはなれない。春子のビンタは間違った行為だけれど、あの程度の間違いは誰にでもあるもので、ラベリングして特別な領域に隔離すべき案件だとは思わない。春子がアキを不当に支配しようなんて思っていないことは、ぼくには明らかに思えるし、問題視されるような母娘の共依存関係があるようにも見えない。にもかかわらず、あれを「虐待」や「毒親」と感じる感性は些かナイーブにすぎるのではないか。あるいは、「親」というものに対する期待値が高すぎるのではないか。これでは、ほとんどの親は「虐待」を行う強権的な「毒親」だ、ということになってしまいかねない。

間違った行為を個別に非難することと、ラベリングして一般化することの間には大きな隔たりがある。夏や春子を「毒親」などとラベリングして問題視することは、ありふれた失敗や過ちさえ汚物として消毒しようとする、あまりに潔癖な理想主義と地続きのように思える。そこは、落伍者を許さないユートピアであり、落ちるくらいなら死を選ぶべき清浄な世界である。そして、理想主義者は自らが落伍者たり得ることを忖度しない。

そんな風に浄化された世界なんて、脆弱なぼくにはとても耐えられそうにない。

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