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不二家騒動と日本人の美学
往生際というのは大切だ。
不二家の一件を見ていて思う。どこまでいっても、人は都合の悪いことを隠そうとするものである。自分を省みても、この傾向は否定できない。けれども、会社として判断するときは、そんな個人的な感覚とはまったく離れたところでの決断が必要だろう。
営利法人である以上、判断基準は最終的な利益のはずだ。今の時代、利益を得るために無視できないのがイメージというやつである。良い物よりもイメージの良い物が売れるというのはよくある話である。ならば企業イメージやブランドイメージというのは何よりも大切だ。
日本人は往生際が悪いとか、姑息だとか、みっともないとかだらしないとかいうのに過敏な人が多いように思う。潔く公明正大でいくのが、たとえ理屈に合わずとも好まれる傾向がある。となれば、今更いくら洋菓子以外の菓子類は安全だと主張したところでもう遅い。
焼け石に水である。
要するに、消費者は必ずしも安全性を疑って買い控えるわけではない。小売店だってイメージを重視して同社製品を回収しているのだろう。だとすれば、不二家が犯した過ちは、杜撰な管理体制のみならず、発覚後の対応の不味さにもあることは明らかだ。
たいだい、過去の多くの不祥事を見ても往生際の悪さが事態を深刻化することは自明だったはずである。それなのに、不二家が過去の事例から学んだ教訓が「雪印の二の舞にならぬよう隠蔽しよう」だったというのが信じられない。学習能力が低すぎる。
いまや、不味い情報の隠蔽は不可能。これがまず前提である。ならば、「雪印の二の舞にならぬよう現状の把握、最善の情報開示、そして事態の収拾に努めよう」というのが真に会社利益を慮った判断のはずである。当座を凌ぐことになど何ほどの意味もない。
だいたい、いまどきの一般消費者は無力な子羊ではない。
手軽な情報発信手段が溢れ、不正を暴露する方法をいくつも持ち得る。ならば、昨年11月に消費者から複数件の苦情が寄せられた段階で、どう公表するかを検討すべきだった。隠し遂せるなどと甘い観測に身を委ねた瞬間、現状の悲惨な結末は決したも同然だったといえる。
よく聞く話に、サービス業は過失がないよりも過失を気持ちよくフォローする方が客に好印象を与える、というのがある。まあ、食品業界の衛生問題が必ずしもこの方程式に当てはまるかは疑問だけれど、情報開示がズルズルと暴露報道の後手に回るなんてのは最悪だ。
ここまで会社に学習能力がないというのは辛い話である。
posted in 07.01.19 Fri
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