いまノりにノっている橋下市長を倒す方法

長らくジリ貧の大阪が、或いは、日本が上向く可能性はどれくらいあるのか?

突くとすればここである。いまや、前向きな議論で橋下市長やその一派を倒すことは難しい。なにしろ「現状がイケてない」というデータも「現状を変えるためのシステム変更」という方向性も十分に説得的だ。いまの政治システムが強力な「現状維持バイアス」に縛られていることは、これまでの政権交代劇なんかを茫っと眺めているだけでも十分に想像がつく。まずは政治で物事が変えられる仕組みにしよう、とは至極まっとうな意見である。この点で橋下市長の主張に立ち向かう方法は、たぶん、ふたつしかない。ひとつは「変えるべきではない」に十分な説得力を持たせること。もうひとつは「その新しいシステムをどう使うつもりなのか?」を問うことだ。

大阪(日本)は変わらなければならない。この錦の御旗を引き摺り下ろすには「現状維持でオーケー」という民意を引き出すしかない。にもかかわらず、反対派は「現状維持でいいの?」と問われて口篭る。まずこれがイケナイ。現状維持がダメで市長のやり方もダメだというなら「対案を出せ」となるのは当然だし、政治的態度を異にする論敵としてこれに答えられないのはいかにも弱い。橋下市長一派は「制度改革」の論理と「打倒既得権益」のキャンペーンで「現状維持イクナイ!」という民意を創り出すことに成功した。ならば、反対派は「現状維持の方がマシ!」という民意を創り出すために、それ相応の論理とキャンペーンを用意して臨まねばならない。

論理で民意を得る。体制の変更を否定し現状維持を主張する以上、「良くなる方法論」はあり得ない。つまり、橋下市長の語るシステムでは「良くなる可能性は極めて低い」「ほぼ確実に悪くなる」という悲観的な未来を描くことになろう。事例に基づく新システムの欠陥、データに基づく懸念点を分かりやすい言葉で語る。現状維持のジリ貧とその先にある緩やかな死を認めた上で、変革による激痛と頓死を十分にあり得る未来として予言する。橋下市長の語る口当たりの良い未来の実現不可能性を喝破し、世界情勢に連動した、もはや一国の政治などではどうにもならない地盤沈下を、なんとか最小限に止めているのが「現状維持」のシステムなのだと論述する。

キャンペーンのネタもちゃんとある。いまの橋下市長に大きな弱点が見えないのは、「結局のところ大阪(日本)をどうしたいのか」を徹底して隠しているからだ。たとえば、政治家以前の彼はざっくばらんに右寄り発言を繰り返していた。あれらの「過去の個人的な発言」は、本来「政治家としての橋下氏の仕事」とは別に考えるべき事柄だろう。実際、そのように振舞ってもいる。けれども、橋下市長の「庶民の敵=インテリ(≒既得権益)叩き」が理を超えて民心を掴むように、「弱者の敵=橋下徹」の画を描いて民心を得ることは可能なはずだ。そして、1月27日放送の朝生終盤、唯一、彼の歯切れが悪くなったのが、この「個人の信念」に関する話題だった。

制度改革についてあれほど饒舌に未来を語る市長が「橋下徹の信念に基づくあるべき大阪(日本)の姿」については頑なに口を閉ざす。「有権者が自ら未来を決められるシステム」という言い方で、システムを運用する舵取りの真意については語らない。「ここが弱点だ」といっているようなものだ。それを口にした途端、共闘できない仲間、離れる民心が出るだろうことは想像に難くない。けれども、政治家としての橋下徹の本質はそこにあるはずだし、方法論だけで逃げ切ろうというのは少々イタダケナイ。「その新しいシステムをどう使うつもりなのか?」こそが、政治家が語るべき本当のビジョンのはずだ。ここを隠し続ける不実は、そのまま不安に繋がる。

こうした理路や手練手管で対抗しながら、まずは論点が「一か八かの賭けに出る」または「現状維持で緩やかな死か世界情勢の好転を待つ」の二択であることを明確にする。そして、賭けに負けて死屍累々の未来を、ほとんど確かなものとして想像させる。或いは、運よく勝っても生き残るのはひと握りの強者のみで、その足元に転がる夥しい数の弱者の屍こそあなたたちの姿だと説く。このとき生き残る強者には、当然、橋下市長とその一派が含まれますよ、そういう仕組みを作ろうとしてますよ、とキャンペーンを張る。どれもそこそこリアリティのある物語になるんじゃないか。いずれにしても、いま反橋下をやるとどうしたって後ろ向きな話にしかならない。

というわけで、橋下さん頑張ってください。少しだけ期待してます。

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