未経験は経験によってしか癒されないという身も蓋もない現実

非モテ、キモメンの呪縛というのはときに悲劇的だ。

「彼女がいない、この一点で人生崩壊」 秋葉原殺人犯の孤独と苦痛 | エキサイトニュース
痛いニュース(ノ∀`):【秋葉原通り魔】 「アニメなど2次元世界にしか興味がない」 加藤容疑者の素顔 …カラオケではアニソン、部屋には同人誌

引用されている携帯サイトの書き込みが事実本人のものだとすると、「アニメなど2次元世界にしか興味がない」という台詞は強がりか婉曲表現の類だということになる。或いは、「(モテないし友達もいないから)アニメなど2次元世界にしか愉しみを見い出せない」という本心を誤魔化して見せたのかもしれない。証言した同僚氏が違ったニュアンスの言葉を勝手に曲解したか、取材した記者氏が印象操作を試みたのでない限り、件の犯人は周囲に公言していたほどに、2次元愛を実践できてはいなかったということになる。むしろ、強くリア充を求めていたようにしか思えない。

犯行直前まで続けられた書き込みから、さしたる狂気は感じられない。鬱憤が溜まって大暴走というのとは少し違うんじゃないか。なにしろ彼は、厭な目に遭った派遣先を襲ったわけではない。望んで届かなかったリア充に矛先を向けたわけでもない。穿った目で見れば、あれは完全な仲間殺しである。キモヲタがキモヲタを殺して回った。そう見える。だから、怖い。関東自動車工場に乗り込んだなら単純な復讐だと思える。渋谷辺りでリア充を殺して回ったなら、これもルサンチマンの大爆発として解りやすい。けれども、秋葉原での凶行はそうしたステロタイプを拒んでいる。

不幸というのは相対的で個人的なものだ。リア充の存在自体知らなければ、リア充を渇望することもコンプレックスを持つこともない。けれども彼は、イケメンで高収入で女にモテてセックスし放題な人間がいることを何となく知っている。知り合いにはいないかもしれないけれど、いるに違いないと確信している。だって、ネットにはそんな話が溢れているじゃないか。なのに、自分にはない。定職も、豪邸も、女も、何ひとつとしてない。そして、隣の芝は青いと決まっている。2次元萌えより恋愛の方が良く思える。2次元妄想オナニーよりもリアルセックスの方が良く思える。

経験がない。これは酷く人を呪縛する。恋愛やセックスに限った話ではない。未経験というのは簡単にコンプレックスに化ける。経験者の多くはいう。そんな大したものじゃない、と。けれども、未経験であり続ける限り、生まれてしまったコンプレックスはくすぶり続ける。そして、コンプレックスには直接の敵がいない。あえていうなら、ダメな自分こそが最大の敵ということになる。これは苦しい。世の中顔だなんていうのも逃げだと、おそらく本人は自覚している。イケメンだけが女の子とうまくやるわけではない。そして、不遇を嘆くことで、余計に自分を惨めにしていく。

実際には恋愛もセックスも幸せを約束してくれるわけではない。リアル彼女だろうが2次元彼女だろうが、恋愛がほとんど妄想であることに違いはない。リアクションがあって、触れれば柔らかくて温かい。違いといってもその程度のものだ。経験さえすれば、それが決定的に人生を支配するわけではないと知るだろう。だから、ルサンチマンを抱えた非モテには、異性と恋愛を与えなければならない。それが多分、一番効果的だ。経験してやっぱり2次元がいいというなら、それこそ「アニメなど2次元世界にしか興味がない」は本当になる。非モテ、キモメンの呪縛は消える。

彼らを呪縛から解放するために、何か外野にできることはあるだろうか。

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