非モテを克服する正攻法

インターネットでも、やっぱりモテの話題は人気だ。

タイプ別モテない理由

この手の話題をやるとまずモテの定義でブレる。意中、意中外を問わず異性、同性の興味を惹くことをモテとする一派もあれば、意中の相手と懇ろになってこそのモテだという一派もある。或いは、多くの他人と(商売抜きの)セックスができる才能こそがモテだという剛の者もいるだろう。だから人がモテたいというとき、その望むところが軽薄なモテか真摯なモテかを判断することは難しい。いずれ、遍く異性を惹きつける性質など個人的には不要を超えて迷惑だと思ってしまう。むろん、限りなく非モテ寄りなぼくのいうことに説得力などはないけれど。

それはさておき、リンク先にある非モテの理由は、そのほとんどがこれらモテを論ずる以前の問題である。むしろ「タイプ別人間観関係がうまくいかない理由」とでもした方がいいのじゃないか。要するに非モテを自認する者の多くは、一般に人付き合いが苦手なだけということなんだろう。趣味を同じくする同類に限らず男友達ならすぐにできるし、先輩や後輩といった縦の繋がりもソツなく作れる。そんな非モテがどれほどいるものか。もちろん、いわゆる「お友達タイプ」という古典的な非モテは今もあろう。けれども、真性非モテはこれを非モテとは認めまい。

モテない。それはまだ軽度のネタである。友達が作れない。これはもう少し重度である。外で普通に話せるだけの人間関係さえうまく結べない。こうなるとかなり寂しい思いをする。インターネットでは空気も読めるし、ときに秀逸なコメントだって繰り出せる。なのに、生身の自分はうまく人と口を利くことすら困難だ。究極の非モテとは多分このようなものだろう。つまり、異性にモテるとかモテないとか以前の問題である。だから、身嗜みから始まって自己啓発みたいな精神修養の話になる。そうなると、克服すべきポイントは案外限られてくるんじゃないか。

とりあえず、自分を守るためだけの無用なプライドを捨てる。プライドが邪魔をして行動できないというのは嘘だ。それを怯懦という。むしろ、プライドをもって行動するのが本当だろう。それから、人を評価するのを止める。これは自分自身も含めての話。キレイごとではなく、クダラナイだけの人間なんてそうはいない。人は誰しも自分と同程度には複雑だ。評価する切り口は無限にある。評価しきることなんてできようはずもない。そうして人と接するときは、相手の目に映る自分ではなく相手そのものに興味を持つ。畢竟、友達は選んだりするものではない。

いずれ、人間関係の不全は人と接することでしか克服できない。

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