非モテの強気が招く悲劇

提言というのはこれくらい単純な方がいい。

非モテが間違っている、たった1つの前提 - タケルンバ卿日記

「弱気は最大の敵」とは、汎用性の高そうな言葉である。けれども、と考えてしまう。非モテのこじれ具合が「自分の過小評価」くらいならいい。が、重症の非モテというのは、ほとんど「対人恐怖」や「人間不信」の域に達しているように思える。それがリアルな経験に基づくものなのか、ネガティブな妄想を逞しくしすぎた結果なのかは分からない。ただ、彼らにとって「強気の場合は、相手に好意があれば両思いになって結ばれやすい。相手に好意がなくても、それは単なる片思いなので、それ以上のダメージはない。」は真理ではないだろう。ダメージはある。多分にある。

同じクラスに好きな子ができる。タケルンバさんもいっていたじゃないか(いや、いっていたのは津田恒美か、うむ、そんなことはどっちでもいい!)、そうだ、「弱気は最大の敵」だ!ある日の放課後、意を決してデートに誘う。断られる。ああ、フラれっちまったな。悲しいけれど仕方がない。単なる片思いに終わっただけのことだ。それにしても、明日から学校来んのちょっと気まずいなあ。そんなことを思いながらトボトボと学校を後にする。翌日。教室に入るとクラスメイトの視線がいつもにも増して冷ややかである。気のせいかな。まあ、ヲタなおれだしいつものことか。

ああ、彼女がニコニコ笑っているな。フラれたけど、思い切って告白したことは後悔してないし、おれ。むしろ清々しいっていうか、ちょっとドモったけど案ずるより産むがやすしっていうか。これからは好きな人ができたら、ただ弱気になってちゃダメだって思えたし。それに、初めて口利いたけど、これをきっかけに友だちくらいにはなれるかもしんないじゃん。それもいいな。考えてみたら、おれ別にいきなり恋人とかよくわかんないし。普通に学校で喋ったりとか、そういう関係になれれば全然満足かも。最初は照れ臭いけど、それは仕方ないよな。いきなり告ったわけだし。

彼女と目が合う。挨拶くらいした方が自然だよね。おはよう。ドッと教室が沸く。え?なに?おれ?混乱したまま自分の席に着く。机に何か書かれている。「キモっ!」「鏡見てから告れよ!」「好きです!ありえねー!」「となりの席見て勃起してんじゃねーって!」「オカズにしてたら殺す!」…ああ、そういうことか。だよな。どう考えてもおれ夢見すぎだし。自分が普通とかあり得ないし。まあ、わかってたけど。ポジティブなふりしてみただけ。友だちになれるかもって、そんなのナイナイ。あれ、笑い声が遠くなっていくなあ。クラスメイト?何それ?食べれるの?

…とまあ、これくらいのことは考えても不思議じゃないのが非モテではないかと思う。


【関連して読んだページ】
非モテがデートする、たった1つの方法 - ぷりっぷりのおしり
#そういうわけで、これも非モテにとって実用的かは疑問だ。視点はとても面白いけれど。

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はじめまして。以前、何かの記事にコメント残して、またこちらのページに巡り会ったので縁かな、と勝手に思い込んでまた書き込みます。(とても綺麗なサイトなので覚えていました。)

> が、重症の非モテというのは、ほとんど「対人恐怖」や「人間不信」の域に達しているように思える

非モテってよくわからないのですが、そーなんだっと思いました。

対人恐怖か人間不信のせいかわかりませんが、非モテ論争って「自分が女性だったら(または相手の立場だったら)」という視線が欠けている気がします。
男性だって、知らない人から告白されたら怪しむでしょうし、強気だ、弱気だって言うよりも「考えすぎるな、落ち着け!」って思うのですが、どうなんでしょうかね。

それに、女性にアプローチするときはもっと「戦略的」な気がします。あえていえば、コメントしてる元記事も、そのさらに元記事もなんだか「戦術的」ですね。

だらだら書いちゃってすみません。

> nacさん
以前偶然に見かけたこんな辺境のサイトのことを覚えていてくれたとは嬉しいです。しかも、綺麗なサイトだなんていってもらって。
ともあれ、非モテですね。まず、彼らは「自分が告られる」という状況を想定できるような心理状態にない、というのはあるでしょうね。よしんば実際に告白されても何かの罠だと思ったり、付き合うとか人生の考慮外だからと即座に断ったり、その程度にはこじれていたりするんでしょう。
また、確かに非モテ系の話題というのは各個爆破的な提言が多いように思います。それは概ね、包括的な話ができるほど抽象化された議論では、もはや非モテには実践不能だという前提があるせいでしょう。戦略を語ろうとすると長期スパンで多くの仮定やら状況判断を含んだ話になってしまいますからね。とてもひとつひとつ具体的には語れない。手の上げ方、足の踏み出し方から分からない相手に、そんな大上段なことを語っても仕方ない。そこで、デートの誘い方、とか、服の買い方、とか個別的な具体論が優先される傾向にあるんだと思います。まあ実際にはこうした具体論が話題になっても、戦略的視点が欠けているために「人や状況によるから実用的とはいえない」なんて意見が出てくるわけですが。そもそも、ひとつのエントリを読んだくらいでどうにかなると思う方がどうかしてるわけで、実際には自分で適宜判断して動けるようにならなきゃダメなんでしょうけれど。ただ、そのときのヒントとなり得る方法論を蓄積することは無駄ではないかもしれないと、個人的には思います。

はじめまして。さっそく、不躾ですが、
「モテないこと」と「イジメられること」は別のことだと思います。
 
クラスメイトとそれなりの社会的な関係を結ぶことは
モテとは無関係に解決するべき問題です。
というか、愛の告白は胸にしまっても構いませんが、
その「準イジメられっ子」状態は放置すべきじゃないですよね。
酷い言い方をしてしまえば「非コミュ」が自分を「非モテ」と考えるのは過大評価です。
非モテ向けのメッセージに反応するのは、脱非コミュして、非モテになってからの話ですよ。
 
なによりも!
彼女よりも、周囲の雑音が気になるなら、それはそもそも恋愛じゃない。自己愛ですよ。
それはもう、弱気じゃないですよ。自身の心の平穏を守りたいんです。
その設定だと、告白するどころか、「女の子から告白されても」退いちゃうんじゃないですか?

> 逃げ腰さん
仰る通り“「モテないこと」と「イジメられること」は別のこと”ですね。そもそも「非モテ」という言葉が明確な定義を欠いたまま(少なくともこれが議論されるような場所では)「モテないこと」以上の意味を持ってしまっている現状が話をややこしくしているんだと思います。そして、そういう現状では“告白するどころか、「女の子から告白されても」退いちゃう”ようなやつこそ正しい非モテの姿だったりもします。実際、自称非モテサイドからのそうした主張はあるわけです。その上で、「思い切ってみたらただフラれる以上のダメージを受けちゃった」挿話として、さらには、「こうして非モテは一層こじれていくのかもしれない」という意味も込めつつ、非モテはこれくらいの妄想を動き出す前に考えちゃって、だったらとても強気になんてなれないよなあ、というエントリーを書いてみたわけです。なので、そんな非モテ描写にイラっとくる逃げ腰さんの感性は極めて一般的なものなんだと思います。けれども、そうした感性の表出はいわゆる非モテたちをより一層諦観へと追いやる可能性もあるんじゃないかと、ぼくは思っていたりもするわけです。

「非モテは非コミュだから、悪い妄想が先走っても仕方がない」と仰るのに対して
私は「じゃあまずは、非コミュを改善したらどうでしょう?」とイライラ思ったのです。
が、そうすると今度は
「非コミュは非モテだから、そんなこと言われても諦観が強化されて仕方がない」と
仰るわけです。
それって、循環論法ですよね。前提と結論が入れ替わっている。

> 逃げ腰さん
正直にいうと、非モテに対して本当の意味で有効な提言がどんなものかが、ぼくには分からないんですね。ぼくの論法が循環しているのではなく、彼らの非モテの言説を観察していると、その症状自体が悪夢のスパイラル、まさしく原因と結果が循環、強化されているんだなと感じるわけです。「じゃあまずは、非コミュを改善したらどうでしょう?」というのは、至極まっとうなご意見だと思います。ぼくもそう思います。思いますが、それを非モテにいっても通じないだろうな、と。その意味で、ぼくは逃げ腰さんの意見が間違っているとは少しも思っていません。むしろ、正論でしょう。

何だか難癖を付けるようで申し訳ないんですが・・・
「正論でしょう」と言われる一方で
「非モテたちをより一層諦観へと追いやるもあるんじゃないかと」
というのが納得できないんです。

もちろん、世の中が正論だけで回るはずもないですし、
別に非モテに限った話ではないとも思います。
勉強でもそうです、運動でもそうです、収入でもそうです。
ある水準より下の人は、「頑張れ」なんて聞きたくありません。
むしろ「もう頑張らなくていいよ」と言われたいのです。それは理解できます。
 
でもそれが許されるのは、勉強や運動や収入とは別のところに幸福を見出してから。
 
例えば
「この子は絶対に野球部のレギュラーになれない。その点はこの子自身も諦めている。
 だから指導なんかするべきじゃない。」なんてこと、他人が言う話じゃないでしょう?
その子は、レギュラーになれないのは解っていても、野球部は辞められないのです。
だったら、ボールを取り上げるのは、未だ早い。
その決め付けは、少年に対する侮辱だろうと思います。
そして「非モテに言っても通じないだろうな」、というのは
これと同種の侮辱じゃないかな、と思うのです。
 
このエントリーの非モテは、彼女のことが好きなんですよね?
対人恐怖で人間不信だけど、彼女のことは好きなんですよね。
だったら、まだ辞めちゃあいない。
 
妄想内におけるクラスメイトからの人格否定は、
恋とは無関係に「既に」起っているのですから
後からやって来た告白が招いた悲劇ではありません。
別の事故のダメージを、あたかも同じ事故のダメージであるかのように計上して
「告白すると、片思い以上のダメージがある」と言うのは、筋が通らないと思うのです。

> 逃げ腰さん
そうは見えないかもしれませんが、「だから指導なんかするべきじゃない」と思っているわけではないんです。むしろ、「こういう子に対して本当に有効な指導法はどんなものだろう?」と考えて袋小路に入っている、といった感じでしょうか。そもそも身体能力において圧倒的に劣った部員に「まずは基礎体力をつけなさい」としかいえない無力感といい換えてもいいでしょう。たとえレギュラーになれなくても充実した野球部生活を送れるような指導とはどんなものか、或いは、野球以外の道を見せてやるべきなのか…。
最後の「筋が通らない」のくだりは、ぼくの考えではなく、いわゆる非モテといわれる人が考えそうなこととしてぼくが例示したネガティブ思考に対する指摘ですね。ですから、もしこういう非モテを見かけたら逃げ腰さんの信ずるところに従って、「それは告白が原因じゃないですよ、あなたが元々抱えていた問題なんですよ」と諭してあげればいいんだと思います。

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