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独女通信の本音と本心
“独女通信”というのがある。
これが、それなりに人気らしい。ネタみたいなものなんだろう。愛読者とて、そう真面目に読んでいるとは思えない。馬鹿だなあと思いながらも、ある程度の共感を持って読む。あるいは、馴れ合いや気休めの空気に浸かる。そういう読み物なんだとぼくは想像している。
だから、男のぼくが読んでもそれなりに面白い。
独女というのは独身女性のことである。特に30歳付近をターゲットにした言葉のようだ。周囲を見渡せば、明らかに婚期はどんどん後ろにずれている。となれば、30歳独身なんて女性は別に珍しくもない。だからこそ、需要があるんだろう。
ところが、マスが作り出した「結婚できない30女」の類型を見ることは、現実には案外に難しい。同僚にも30歳以上の独身女性はいるけれど、いわゆる「負け犬」のイメージとはあまり重ならない。そもそも恋愛や結婚ばかりにそれほど比重を置いて生きているようには見えない。
ところがこの“独女通信”を見ていると、やっぱり既存の類型を前提として書かれているように思える。需要があるということは、まったくの的外れでもないんだろう。それにしても、あまりに新鮮味がない。その最たるものが‘彼ナシ独女座談会’である。
昨年末、6回に分けて連載されたこの記事は、ぼくたちが典型として刷り込まれている「結婚できない女」を地でいくような3人のお喋りで成り立っている。自己評価が高く、交際相手に対する要望が高い、そういう側面がいやに強調されているのである。
そもそも座談会やインタビューのようなものは、その記事の目的に沿って情報の取捨選択が行われ、より意図を明確にすべくリライトされるのが常である。つまり、編集者だかコピーライターだかが、いわゆる「負け犬」的な類型にのっかる形で記事を作った可能性が高い。
太字を無視して、全体をちゃんと読んでみると、確かに自己中心的な発言はありながらも、この程度ならノリや場の雰囲気で話すこともあるだろうなと思える内容である。男同士でもノリで下世話な女性批評くらいすることはいくらでもある。
実際のところ、最大限「負け犬」らしさを演出してこの程度なら、座談会全体は案外マッタリしたものだったんじゃないだろうか。そもそも、よく考えずに喋った内容なんて、大抵はいい加減なものである。明日には違うことをいっていても不思議ではない。
例えば30過ぎの独身男が幼顔の巨乳が好きだとか、新垣結衣みたいな女の子と付き合いたいとかいうのは、まるっきり心にもない発言ではないだろう。といって本心だというのも御幣があろう。これをもう少し生々しい次元に話を落としてみる。
「25過ぎたら女じゃない」「女は顔がすべて」「オタクでニートでデブでもすべて受け入れてくれる美形のお姉さん募集」…なんて発言ならいくらでも見付かる。けれども、これを本当に異性とのコミュニケーションの基準にしているような男はそういないはずだ。
要するに、こうした発言自体が娯楽なのである。
そう思えば“独女通信”の人気も理解できる気がする。
posted in 07.01.17 Wed
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