腐萌えは自ら捨てることも維持することもできない

結婚を控えた隠れ腐女子の葛藤あるいは奮闘

自分の好みというのは、およそ自分で生み出したものではない。

米を好んで食べるのは米を好きになる環境を与えられたからだし、BLに目がないのはそれにハマる環境を与えられたからである。自分で思うほど人は「自発的に」何かを好きになるわけではない。誰もが例外なく偶然に左右されて生きている。だから、今の生活環境から生み出された「好み」はライフスタイルの変化でいかようにも変わり得る。そして、どう変わるかを選んだり予測したりすることはまずできない。腐女子になる以前の自分は将来腐女子になることを選んだり予測したりなどできなかったはずである。BLにハマり得る環境が腐女子への道を用意しただけのことである。

ただ、環境はある程度選べる。何かのきっかけでアメリカ人が好きだと気付いてしまった人はアメリカに移住する。その程度の積極的な変化なら自分でコントロールすることができる。その時、動くか動かないかはプライオリティの問題だ。日本食への執着がアメリカへの憧憬を上回る人は日本に留まるだろう。けれども、人の好みや体質はいくらでも変り得る。結婚して相手の味に10年も馴染めば、その味が好みになるという。珍しい話ではない。けれども、お互いが味の好みを譲歩してまで共に暮らす価値はない、或いは、それほどに苦痛が大きいと判断するなら別れるよりない。

自分というのは環境が作る。どんなに微々たる変化だとしても環境は刻一刻と変わっていく。だから、望むと望まざるとに関わらず人は変わり続ける。ただ、ある程度以上小さな変化は無視されるだけのことだ。自分を極力変えたくないというなら極力環境を変えないことだ。大きな変化ほど趣味や志向を大きく変えてしまう。腐女子趣味が捨てられないという気持ちは想像できる。が、その抜き難くあると思えるようなある種の情熱すら、不変ではあり得ない。変わりたくないと願っても変わるときには変わってしまう。どんなカップリングにも興奮できない自分はすぐそこにいる。

萌える心は捨てようと思って捨てられるものでも、続けようと思って続けられるものでもない。だから、腐萌えを抱えたまま結婚したいならすればいい。隠しておきたいならそれもいい。いずれ人にはできることしかできない。何を拾って何を捨てるかは自分にだってそのときになってみなきゃ分からない。結果、彼の愛を捨てるのか、家庭を捨てるのか、家事を捨てるのか、腐趣味を捨てるのかは新しい環境が生んだ新しい自分が決める。案外、すべてが手に入るかもしれない。そしていつか、まったく別の何かに夢中になったり、すべてにやる気をなくしたりするのかもしれない。

変化は確かに怖いものだけれど、生きる愉しみもまた変化の中にしかないのだとぼくは思う。

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この自己紹介だかお悩みの真のメッセージは「聞いて聞いて、あたし結婚するの」、その表現形として「自分の時間が確保できないだろうから不安で…」というただそれだけのことなんだろうけども、たぶんこの人にそういうことを言うと気を悪くすると思う。

本人が「性癖」とまで言ってることは、単なる消費行動上の気楽な選択でしかない。
原則論的に、環境がたまたまそう結果せしめたのだ…という言い方をしても、まあ結局は同じことでしょう。

オタク的心性の柱に、敢えて○○を選ぶ私、という自己規定の方法がある。
結局は「買い物」の話、しかも広義のズリネタのチョイスでしかないことがときにはしんみりした自己省察になりかわったり、なんか家名をかけてのブシの決闘みたいなもんになったり。

なんか頭おかしいような言い草になりますけど、俺こういう女とだけは結婚したくないな。
そしてこの人の「悩み」に同位相で答えなり感想述べてる人とは友達になれないだろう。

世の中には(私と)ある予定調和の範囲内の話しかできないつまらない人と、学歴や年齢性別にほんとうに関係なく、先の見えないノンジャンルな話ができるおもしろい人がいるのですが、後者の共通点は、モノに…というか買い物に淫しないということかもしれないと思いました。

> Nさん
「敢えて○○を選ぶ私、という自己規定」は、「自ら選び得るそれほど自由ではない選択肢の中から」という前提を承知の上でやるなら構わないという気はします。自発だとか意志だとかいったものの範囲を過大に取り扱うから、おかしな自意識が身の丈以上に膨張して収拾がつかなくなるんじゃないでしょうかね。
モノに淫する心があるかないかといわれれば、常態としてはないけれども、一時的なものとしては割とある、といった感じでしょうか。ぼくの場合は。ひとたび何かを買おうと決めると、まさに淫するがごとくそれについて調べたりより良いモノに惹かれたりし始めます。それも、敢えて自らハマりにいくという側面が強かったりしますね。

私の場合。ダイモスパロ(知ってますか?)の頃からの、まさに腐女子の奔りでした。で、オタクと結婚するのが夢で、実際同年代の人と、一度結婚話が持ち上がったけど、ひょんな事から破れ、結局19才下(!)の元彼(非オタ)と付き合って以来、何故かすべて(99%)の「オタクもの」を処分しました。要らなくなったんです。(1%は、オークションのためにとってある状態ですね・・・。)だからどうだという訳ではないけど、この女性はたぶん、オタクを隠すのに相当エネルギー使って二重人格を使い分ける「隠れオタク」だったんだろうなぁとは思います。
PS; 全然関係ありませんが、最近気がついたこと。シャア専用携帯を持ってる人って一般的に善人が多いけれど、シャア専用バスローブを持ってるのは悪人ではないかと。あくまで仮説ですが。

> faye2071さん
そもそもダイモス自体、ぼんやりとしか知りませんね。どうも、あの手のロボットものはアニメというより超合金的な玩具のイメージで。「オタクもの」を捨てるというのは、結構、興味深い行動だと常々思っています。それについては、またその内に書くかもしれません。ともあれ、シャアグッズ云々については、仮説に対する感想以前に持っている人を見たことがないんですよね…哀しいかな。

補足したくなりました。・・・私の場合、「オタクもの」を捨てるというのは、自分の童女性への訣別(非常にクサいですが・・・)であったように感じています。まんだらけで売れた代金で、ずいぶんお洒落着が買えたよな。・・・って、それはそれとして、私の周りにはシャア専用携帯所有者は、(知りあいの知りあいまで含めると)何と4人はいますよ。奥さんにネットで買ってもらって分割で返す、そして他人には「友達が持ってるんだけどさ~」と言うのが、大抵のパターンですね。

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