“ホウレンソウ”の悪用が蔓延る日本企業

「権限と責任」の曖昧さについてはもう本当にその通りだと思う。

“ホウレンソウ”は第二の“カロウシ”になるか

ただ、「報告・連絡・相談」がその原因かというとこれは少々疑問だ。因果が逆ではないかと思う。ドイツ人だってホウレンソウはしているはずだ。…はずだ、と思う。ただ、どの段階で報告し、どういった内容の連絡が必要で、何を相談すべきかという点で、日本のそれは無駄が多いというだけのことだろう。ホウレンソウが五月蠅くいわれるのは、すべきホウレンソウをしない人間がいるからだと思う。見込み客から問い合わせがあったのに担当窓口に連絡しないとか、案件がポシャったのに上司に報告しないとか、他部署の応援で乗り切れたはずの案件を相談せずに潰すとかいった具合に。

要するに、ホウレンソウが誤解されているのである。誤用されているといい換えてもいい。たとえば、リンク先にある企画のタライ回しの件。これなんかは、そもそも相談案件ではないと思う。上司に求めるべきは承認だろう。承認がおりないなら、その理由、問題点を提示してもらう。その上で、解決策を出す。自力で解決が難しいときに初めて相談だろう。こうしたプロセスが曖昧に処理されるのは決定権の所在が端から不明瞭なせいだろう。企画者同様、課長も部長も事業部長も「自分に決定権はない」と思っているか、それを行使したくないという我儘を通しているかのどちらかである。

決定権を持つというのは、決定してもいいという意味ではない。決定しなければならないという意味だ。それをしないのは職務怠慢、キツくいえば職務放棄である。つまり、グダグダと判断を先延ばしにした結果失注した場合、決定権を持つ人間はその責任を負わなければならない。ホウレンソウというのは、決して判断を保留して誰かにその責務を押し付けることではない。たとえば、経営者が従業員に権限を与えないなら、経営者がすべてを判断しその責務を負えばいい。従業員は経営者に決定を迫ればいいだけだ。その体制に経営者自身が無理を感じれば、適宜権限は委譲されるはずである。

そんなわけで、権限委譲の問題とホウレンソウの問題は、本来まったく別個の問題なんだとぼくは思う。もちろん、ホウレンソウの表面的なプロセスを悪用して責任を回避しようと考える人がいないとはいわない。とりあえず自分より上の立場の人に投げてしまえばあとは上の責任だ、と。そんなものはホウレンソウではない。ホウレンソウの意図的且つ悪質な誤用である。権限の所在がハッキリしていれば起こり得ない誤用でもあろう。これは社内プロセスにリソースを割かれているとかそういうレベルの話ではない。むしろ、個々人の保身に会社のリソースが割かれていると見るべきだろう。

一方、ホウレンソウを無くすということは、個々人の裁量内だけで仕事をするということだ。末端社員の権限と責任と職務範囲を最大化しないとホウレンソウはなくせない。組織的な動きはほとんどできないのだから仕方がない。そんな会社は先進的かもしれないけれど、限りなく個人事業に近いともいえる。職種によっては成立しても、一般的にはむしろ非効率ではないかと思う。新人研修で熱心に指導しているホウレンソウがどんな内容かは知らないけれど、まさか、「優柔不断に決断を先伸ばすこと」だと教えているわけではあるまい。間違った運用例を見て学習するだけのことだろう。

「権限と責任」がハッキリすれば、自然、正しい“ホウレンソウ”も可能になるはずだ。

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