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世界中どこでも生きていけるための第一歩を踏み出そうとして挫折する瞬間
これは正直グサっときた。
「日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介 - 分裂勘違い君劇場」に書いてあることは、つまり、サバイバルな世界ではある種の適応能力を持たないこと自体病気のようなものだということだろう。ぼく自身のことをいえば、職くらいはどうとでもなるだろうとずっと思ってきた。その意味で会社依存の傾向は薄い。ただし、それほど計画的にキャリアを積んできたわけでもない。だから、極力汎用性の高いスキルを身につけることと、業界の情報にアンテナを張るくらいのことしかしていない。
それが、先のエントリーを読んでいて自分の視野の狭さを思い知った。少なくとも現時点では、海外で生き延びる術をぼくは持たない。まず、日本を見限るとき目指すべき国を選択する目がぼくにはない。いや、実際には日本が沈没するなんてぼくは考えていない。これは単に視野の問題だ。大阪で働いていて思うのは、どこを見ても不景気だということだ。一見羽振りが良さそうに見える企業でも、大抵、末端社員は薄給に苦しんでいるし、ある程度の立場になっても精神的に病みついて辞めていく率が高い。大阪を蝕む病巣はどうやら相当に深刻らしい。
ぼく自身、決して好待遇で働いているとは思えない。それでも、今の会社にいるのは得られるスキルや経験、或いは試行錯誤が許される環境的なユルさなど、待遇以外の面で自分に利するところが結構あると考えているからで、それも待遇とのバランスが合わなくなれば辞めることを躊躇うつもりはない。更にいえば、ぼくは愛郷心に薄い。だから、次なる転職の地には、地方の養分で肥大化する魔都市東京を選ぶかもしれない。その方が、今よりずっと楽に稼げるかもしれないとさえ思っている。東京と地方の格差はきっとその程度には大きいはずだ。
けれども、ぼくがイザというときに想定できていたのはここまでである。海を渡るところまでの視野は持ち得なかった。先のエントリーを読んで社内を見渡すと、実際不安にならざるを得ない。ある主要クライアントにベッタリな人間が多く、使う言葉も考え方も渉外スキルも、ほとんどそのクライアント向けに最適化されている。基礎があっての最適化ならいい。けれども、どう公平に見ても他所では通用しないだろう人材の宝庫に見える。たとえ特定の会社向けの知識であろうと本質を掴んでいればいい。そうは思えないところに一抹の不安を覚える。
幸い、ぼく自身の所属するチームは、その主要クライアントの案件が少ない。お陰で売り上げが苦しいという強力なハンデはあるものの、雑多な案件に触れ、規模も内容も性質も異なる色々な仕事ができる。ひ弱ながらチームの独立性も高く、案件の全体像もお金の動きも実にクリアだ。このチームに対して何を齎せるか、が目下のぼくの課題である。状況は著しく停滞している。会社という箱を利用して、スキルを磨き、自らのポテンシャルを見極めつつ、最短でできることを探す。今はまだ頭が悪すぎる。もっと社会を見る目を鍛えねばならない。
ぼくはまだ今の会社でさえ自分を試せていない。世界のことはそれから考えよう。視野を狭くしようというのではない。広い世界を見据えて必要な力を得る。まずはそこからはじめるしかない。ぼくはまだまだそのレベルだ。今の場所でできることがないと分かれば、その時はじめて足場を移せばいい。何も得ることなくヒラヒラと飛び回るのでは、じっと食い扶持のためだけに会社にしがみつくのと変わらない。どちらも成長のしようがない。この場合の成長は端的にいってお金を得るための成長だ。蓄えるべき力の最終形は資産である。ハードルは高い。
あ、もうひとつ大切なことを忘れていた。ぼくは英語ができないんだった。
fromdusktildawn氏の極論の世界では、ぼくは生きていけないことが分かってしまった。
posted in 08.03.10 Mon
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