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仕事もブログも実験場
ようやく仕事が始まったという気がする。
5日も出勤はしていたのだけれど、どうにも休みの谷間で気の抜けた1日だった。周囲もふわふわと落ち着かず、半分くらいは仕事になっていなかったように思う。有給を使って大型連休にしている同僚も何人かはいた。いっそその方が有意義だったかもしれない。
とはいえ、肩慣らしの意味では悪くない1日だったし、助走に最適な課題もあった。個人的にはあまり盛大な連休よりは、これくらいで丁度よかったようにも思う。そう思って、敢えて有給を取らなかった人も多いのかもしれない。
本当の意味で初日らしい初日を迎え、今月もまた課題が盛り沢山だということを再認識する。どうもここ数ヶ月、忙しさが慢性化しつつあるのが気になる。まあ、どこかで峠を越えるならいいのだけれど、実入りに見合わない日々が延々続くようでは辛い。
この実入りというのは必ずしも金銭を指すものではない。
そもそもぼくがいるチームはまだまだ軌道にのっていない。だから、労働力面での持ち出しが多くなるのはある程度仕方がないと思っている。ただ、労働対価を引き上げる方策にいまだこれといった有効打が見出せていないのはやっぱり辛い。
今のままいくら沢山の仕事をこなしたところで、相棒諸共疲弊し著しいモチベーション低下を招くことは目に見えている。忙しいことよりも、問題は忙しさの質である。時間を犠牲にして得るものが、代償に見合わぬ金銭だけではいかにも寂しい。
衣食足りてそれ以上を望むは贅沢だ。
そういう人もあろう。幸せというのはもちろん至極個人的なものだから、日々生きられるだけで儲けものという人がいても別段怪訝しとは思わない。ただぼくはそうではないというだけのことである。これを贅沢というなら否定はしない。
誤解のないように書いておくと、好きなことだけをして稼ぎまくりたいとかそういうことではない。やり甲斐さえあれば何でもいいというのも違っている。寝て働くだけの生活で大金持ちになるのも、一生遊んで暮らせる身分になるのも、正直あまりゾッとしない。
脳と身体に気持ちの良い瞬間をいかに得るか。
それがぼくの当面の生き甲斐といっていい。仕事、人間関係、衣、食、住のすべてが土俵である。必要なのは、特別な身分や立場ではない。折に触れ生きることを愉しむ知恵である。ぼくが欲して已まないもの。それはきっと人から教わることのできないものだ。
これがなければお金や時間があっても退屈なだけだろう。
このブログもそれを得るための試行錯誤のひとつなのである。
posted in 07.01.10 Wed
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