アウトプット力不足

文字通り忙しくてブログどころじゃなかった。

忙しいと合間に少々手があいたところでブログは書けない。そこにぼくの限界がある。なんて思っていたら、「これ読んで「転職考えろ」とか言ってるやつってアホだろ」とかいうエントリを見つけて、テンパってるのに読み耽ってしまった。要するに贅沢な悩みを悩む新卒採用の若者を経営的な視点から腐しているのだけれども、この辺りの温度差はやっぱり根深いものがあるなぁと思わざるを得ない。大企業の安定した仕事を金は良いけどツマンネなどというのは贅沢ではあるけれど解らなくもない。問題は「成長できない」とのたまっている点だろうと思う。

新卒で入社して1年」の若者と先のエントリの筆者とでは、そもそも仕事人としての成長に求めるものが違いすぎる。この点については考えるだけ無駄というか価値観の違いとしかいいようがないので華麗にスルーしておく。前者にとっての成長は後者にとっては取るに足らないものだろうし、逆もまた真なりということもあろう。ただし、件の若者自身が書いているように、そんな漠然とした欲求がどの程度のものか、甚だ疑問ではある。そもそも彼のいう成長のために現職に就いたのかという疑問もある。仕事がつまらない理由を探していただけかもしれない。

仕事の成果というのはアウトプットされるものである。もちろん、本当はアウトプットすることによっても得る物、つまり、インプットはある。けれども、忙しいという状態はこのインプットを極小化する。ロボットのように仕事をこなすという喩えは、この場合なかなかに的を射ている。環境によって人はまさに心を亡くして働くようになる。ここでいう心というのは正常な精神活動といい換えてもいい。仕事の効率を考えたり、仕事のクオリティに気を配ったりできる内は、忙しいとはいわない。忙殺とはたぶんそうしたクリエイティビティまで失うことを指す。

ということは、だ。これは実際に仕事に追われているかどうかや、時間を拘束されているかどうかとは無関係だということにもなる。入社して1年の例の若者は、仕事に忙殺されているわけでもないのに成長できない、つまり、インプットを得られないといっている。淡々と決められた仕事を決められた通りにこなす。彼の主観ではそこに成長の余地はない。じゃあ、彼の余裕は何に浪費されているのか。匿名はてな活動に忙しいというのがひとつの答えかもしれない。それはつまり、はてなの時間を成長にあてることはできないということでもあろう。

彼に圧倒的に欠けているのは、実はインプットではなくアウトプットなんじゃないか。アウトプット力のある人は、傍目からどれだけ忙しそうに見えていても、驚異のバイタリティでアウトプットし続ける。そして、恐らくはあらゆる時間をインプットに費やしてもいる。通勤中にはモバイルで、昼食時間にはPodcastで情報を仕入れ、少しでもまとまった時間があれば本や雑誌を開く。もちろん、ネットだって大いに活用しているだろう。その上、彼らは凡人と同じ量のインプットからでも、おそらく凡人に倍するアウトプットをひねり出せる人たちでもある。

そういう人たちがどんどん前進しているように見えるのは、たぶん偶然ではない。目に見えて成長する人は、きっとアウトプット力に優れているのだろう。アウトプットするためには、それだけのインプットが必要だ。そして、インプットは気付きの産物でもあろう。敏感なアンテナは成長の鍵といえるかもしれない。大企業にいてインプットがないなどと嘆くのは、なるほど、これは相当に贅沢というか、怠慢といわれてもしかたがない。恵まれた環境なのに仕事がつまらないというのは、職選びを間違ったか、ただのないものねだりである。

社会は口を開けて待つだけの雛鳥にあまり優しくしてはくれない。

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