悪いのは忘れる上司なのか

頻発する朝令暮改の根は深い。

「なりたくない人間に自分がなりはじめている事実に愕然。」というエントリーを読んでいて思った。要するに、自分でいったことを忘れて部下に指示した作業を無に帰する、そんな上司になりつつあることを自戒しようという内容だ。思い付きで指示された上、反応がないのでお伺いを立てると、そんなこともあったかという顔をされ、その後何の音沙汰もない、あるいは、やっぱ違うからこうしてくれとか再び行き当たりばったりな指示を食らう。確かにあまり楽しい話ではない。無駄にした時間は会社にとっても大いなる損失だろう。

これは、頭の底が抜けて水漏れの激しくなった上司を責めて済む話ではたぶんない。熟慮した内容でもなければ、まあ、人は多くのことを忘れる。だからメモを取ったり、記録に残る伝達手段を使ったりするわけだ。けれども、すべての行動なり発言なりを逐一記録することはできない。いや、できなくはないかもしれないけれど現実的ではないというべきか。なら、誰かに指示する時はいつでも考えをまとめてからにすればいいのか。部下の身になれば、そうだ、ということになるかもしれない。が、これも最善ではない、とぼくは思う。

まず、思い付きというのは都度アウトプットしなければ大半が失われてしまう。それは、何かをしているときに、あ、今日のブログはこのネタでいこうと閃いたのに、いざ書く段になると忘れているというのと同じである。だから、仕事の話だって閃きなりその場の判断なりは、その時にアウトプットしておかないと大方霧散することになる。その程度には誰だって忙しいし、色々なことを考えているものだ。メモやメールを使う人も多い。無論、アウトプット先が自分の部下だというシチュエーションは、昇格すればするほど多くなって当然だ。

いって忘れるのといわずに忘れるのとでは、どちらがマシか。玉石混淆の思い付きだとしても、玉を逃さないためにはいってしまうことだとぼくは思う。もちろん、忘れないに越したことはないけれど、忘却を恐れてアウトプットを控えるのでは本末が転倒している。もちろん、石ばかりで玉がないような発言しかしない上司というのは論外である。そんな人間を管理職にするような職場はダメだ。適当に受け流すか転属するか転職した方がいい。自分がそんな上司かもと思うなら、忘れてもいいから考えがまとまるまで思い付きなど口にしないことだ。

翻って、部下と共にそれなりの業績をあげているなら、無駄をさせることをあまり恐れることはないと思う。思い付きを忘れた結果部下の作業が水泡に帰したとき、大切なのはちゃんとフォローすることだと思う。無駄になった作業をどう意味付け、今後の糧とするか。本当にどうにもならないお馬鹿な指示をしたなら、まず謝ることを忘れず、その上で部下の判断の大切さや頼りにしていることなんかを伝えてみるのも手かもしれない。トップダウンでやるべき状況と、各自の判断をすり合わせるべき状況について一緒に考えることも有効だろう。

要するに、単なる指示待ち部下が不平をいっているだけなら、これはそもそも苦慮する必要なんてない。汎用性の高い歯車だから辞められても代わりはいくらでもいる。逆に、判断力のある貴重な人材なら、上司の資質を勘定に入れられるようになるまでそれほど多くの時を必要とはしないだろう。変なことは変だといういうだろうし、いっても無駄なら自分の判断で動くようになる。判断できないレベルの内容なら、ひとまず従った上で失敗から学んでいくはずである。そして、こういう部下に恵まれたなら上司はぜひとも大切にすべきである。

つまり、リンク先の日記の主が心配するようなトラブルが頻繁に起こるような職場は、そもそも上司か部下か、あるいはその両方がうまく機能していないのであって、その場合は、上司が物忘れに気を付けるくらいでは屁のツッパリにもならない。真のボトルネックがどこにあるのかちゃんと考えて対処すべきである。使われる側からいうなら、メンタル面での納得というのは実務に大きく影響する。もちろん、個人差はあろう。それでもまるで関係ないという人は少ないと思う。その意味では、的確な指示をすることが最上だと思うのは危険だ。

結局、上司のボケを緩衝するのは正常な上下関係なんじゃないかと思うのである。

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