- 「気付いた人がやる」ルールを提案してはいけない
- 仕事ができる人の3つの才能とその獲得可能性
- 「働きたくない」から「死にたい」までの距離は結構近い
- ぼくたちはただ「不安」のために働かされ続けるのか
- 明日から仕事が苦にならなくなる自己欺瞞術
- みんな社畜で市場の飼い犬で性奴隷で肉の虜囚である
- 凡庸なぼくたちがうまく職場で共存する秘訣
- ありもしない同情に怒る心の屈折
- “ホウレンソウ”の悪用が蔓延る日本企業
- どんなに技術力が高くても特別扱いはイケナイ
- 凡庸なるオートマトンのためのエリート・ハッキング・ガイド
- 労働者自身の「経営」とは結局のところ何なのか?
- 仕事は何のためにするべきか?
- エリートとは決してIT成金みたいな人を指す言葉ではない
- 成果を出せない人なんてひとりもいない
- 将来に希望を抱けない?何温いこと…
- 仕事どころか何もかもが暇つぶし、から始まる愉しいM人生
- 「仕事」の半分は「きれいごと」でできている
- 著名ブロガーの「仕事の法則」がイマイチつまらない
- 目に見えないものの価値は理解されにくい
- アウトプット力不足
- 成功本が役に立たない理由
- 世界中どこでも生きていけるための第一歩を踏み出そうとして挫折する瞬間
- お金持ちになるための基礎体力・自分流まとめ
- 悪いのは忘れる上司なのか
- 面接には極意よりも行動力
- ジョブホッピングの質を邪推する
- 仕事もブログも実験場
理を悪用する人間が理の通らない世の中を作る
デスクに張り付いていることが仕事なわけはない。もちろん、その通りだ。
・橋下知事 公用車で抜け出しジム通い - MSN産経ニュース
・橋下知事のジム批判で考える-机に座ってなければ、仕事をしていると - モチベーションは楽しさ創造から
ここでホワイトカラーをどう定義しているのかよく分からないけれど、いわゆる上流工程に属するほどデスクに張り付いている必然性が薄いとはいえるかもしれない。実際、社長が毎日社長室に出勤してパソコンの前から動かない会社というのはどうかと思う。知事ともなると企業でいえば経営側に属する立場だろうし、いわゆる管理監督者ということであれば一般企業でも勤務時間に対して裁量権が認められていたりする。そんな立場の人が日がなデスクワークに追われているとしたら、むしろその方が心配すべきだ。プライベートと仕事を効率的に配分するのも能力の内だろう。
そもそも仕事とプライベートというのは、個人の中でそれほど明確に線引きできるものではない。勤務時間中にプライベートな何かが気になって仕事にならないこともあれば、休日にステキな仕事のアイデアを閃いてパソコンやノートに向かうことだってある。意識的にオンとオフを切り替えているという人だって、脳の構造や記憶が書き換わるわけではない。仕事のことを考えていない時間の思考さえ、仕事時のアウトプットに影響を与える。その意味で完全な切り替えなんてあり得ない。個人のどういう状態が仕事をしている状態か、なんてことは本質的には判別不能である。
つまり、勤怠管理というのは文字通り管理のためのシステムであって、本質的にある個人が仕事状態であるかどうかを判別するためにあるのではない。当たり前の話である。そして、そうしたルールは個々の能力というよりは、全体としての効率を考えて作られたものだ。単純にいって、ある程度スタッフ間の連携が必要な職場で各自の勤務時間がバラバラだと効率的に仕事をするのは難しい。管理コストだって増大する一方だ。それなら、管理する側の人間を管理するのは誰か。答えは明白だ。自分自身である。必要な時に必要なだけ働くことを自らに課す。それが管理者である。
管理職だろうか一般職だろうが、効率を最大化するために定められたルールの中、自分の裁量の及ぶ範囲で自由に仕事をすればいい。ここに理がある。橋下知事の行動も職責を果たしている限りにおいて非難される筋合いはまったくない。こうした理が通用しなくなるのは、それを悪用する輩が必ず出てくるからかもしれない。ただの怠慢を裁量権を楯に正当化したり、最大限利己的に裁量権を行使し一般職員を酷使するといった類の愚行である。こういうのが出てくれば、管理側に対する締め付けが厳しくなるのは当然だ。ダメな奴がデキる奴の足を引っ張る典型的な例だろう。
こうして、正当に権限を行使している人間が効率的に働けなくなっていくのである。
posted in 08.07.17 Thu
trackback - トラックバック
trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/394
comment - コメント