他人の弱さを不快に感じる人の弱さ

匿名ダイアリーに自ら不寛容を暴露する記事をよく見かける。

高校時代の友達(だった人)の話(※誤ってはてブにリンクしていたため修正)
無い内定の友人を見下してしまう自分が卑しい

ひとつ目のリンク先は他を否定する話、ふたつ目は他を否定する自分を否定する(かに見える)話である。自分はそれなりに努力をしてそれなりの結果を出した。友人(?)はさしたる努力もせずに怠惰と自己正当化の海に溺れるばかりである。どちらもそういう視点で書かれたエントリーに見える。まあ、若さ故の不寛容といえばそれまでなのだけれど、今時の若い人たちがこうした旧弊な価値観をしっかりと受け継ぎ、かつナイーブに反応してみせていることに驚く。これだけネット上に様々な人生観が溢れていても、自分の人生を相対化するのは難しいらしい。

めでたく被雇用者への道を歩み始めた増田氏の気持ちや深慮遠謀を友人らが解しないのと同様に、増田氏だって被雇用者への道程で足踏みしている友人たちの気持ちや深慮遠謀を理解はできない。その意味で、疎遠になりつつある友人の「頑張らないヤツのダメ人生」というのは、増田氏の空想の産物といっていい。それはもう大前提である。件の友人氏は雇われではない人生を模索中なのかもしれないし、恥ずかしくていえないだけで、実はコツコツと傑作小説を執筆中なのかもしれない。或いは、何か積極的に活動できない深刻な事情がある可能性だってあるだろう。

身近な人間に負の物語を幻視し非難せずにいられない。その心を悪いとは思わない。頑張るヤツは偉い。頑張らないヤツはダメ人間。いい会社に就職していい人生。ダラダラと就職浪人して負け組み確定。そんな価値観を持って生きるのも個人の自由である。実際に、彼らの友人氏は努力もせず就職もできず貧乏で愚痴っぽい、傍目にパッとしない人生を歩むのかもしれない。けれども、どうしてそれを叩かずにいられないのか。どうして、公に語らずにいられないほど不快に感じるのか。理由はたぶん、ありふれている。凝り固まった価値観が生む焦燥と恐怖である。

この手の価値観を持つということは、人間の価値をランキングすることに通じる。ここに大きな陥穽がある。増田氏の成功は1位ではない。上を見ればキリがないことを増田氏自身が解っているだろう。つまり、増田氏が友人を非難するのと同じ論法で増田氏は非難され得る。増田氏の価値観で増田氏より上位に位置する人によって。努力が足りないからお前はその程度なんだよ、と。これは相当にキツイ価値観である。たとえば、件の友人が何かの拍子に自分など及びも付かない成功を手にしたらどうなるか。きっと、手酷い精神的ダメージを受けることになるだろう。

柔軟性のない価値観は、柔軟性のない精神を育む。それは脆く、壊れやすい。

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その匿名さん達が表明してるのは
・俺は勝った。アイツは負けた。ダメなヤローだ。
という単純な勝利宣言「だけ」ではないですよね。
同時に
・そんなこと思っちゃう自分がイヤかなって…
みたいな、自省の弁がグチャグチャくっついている。
その、底の浅いナイーブさがダメなんじゃないでしょうか。
つまり
・生き方は人それぞれ、一律のものさしで測るもんじゃないだろ。
・目先の勝ち負けにとらわれてばかりじゃ人生辛いよ。
みたいな指摘は、もとより彼らにとっては「織りこみ済み」なわけです。
いずれにせよ「勝ち組/負け組」と「世界にひとつだけの花」のダブルスタンダードによる閉塞状況に絡めとられているに過ぎないように思えます。

直接関係ないけど、水木しげるの逸話はご存知ですか。
南方の戦場跡に立つと彼は腹の底から笑いが出て止まらないという。戦友はみんな死んでしまったけど、自分は生きてこの場に立っている。それが楽しくて仕方ないんだという。

> nbさん
まさに仰る通りなんですよね。「織りこみ済み」のはずなのに、自分のこととなると何故か相対化に失敗してグチグチと思い悩むような浅薄なナイーブさが消えない。ダブルスタンダードについても頭ではちゃんと咀嚼できているつもりなんだと思うんですよ、彼らは。だから、もう一歩、そのいまだ表層的な思想の中に肝心の自分自身を放り込むことができれば、つまらない閉塞感なんてなくなるのになぁと、他人事ながら思ってしまうわけです。
それから、水木しげるの話はいつか目にした覚えがあります。ずいぶん前に自伝本も読みました。あの人の(死生観を含む)人生観とか衒いのない率直さというのは、それこそ匿名ダイヤリーの彼らに圧倒的に足りない種類の強度を持っている。そんな風に、ぼくには思えます。

匿名さんが苛立っておられるのは、ご友人が「頑張らないダメなヤツだから」ではなく「愚痴を垂れるから」「求められるままアドバイスをしても聞く耳を持たないから」ではないでしょうか?元の文章には、ご友人は今までもずっと「ルーズで有言不実行」ではあったけれど匿名さんはご友人を「愛すべき馬鹿野郎」と評価されていますし。「お前もっと頑張れよ!」という不寛容と、「ぐだぐだ愚痴を言うのはやめろよ!」という不寛容は同じではなく、共感の得られやすさも大きく異なると思います。

> 不寛容さん
確かに苛立ちの直接的な原因は、聞く耳を持たない愚痴なんだと思います。他人の愚痴を延々聞かされるのはもの凄く辛い。これはもう至極一般的な感情の話ですね。それはそれとして、このエントリーはいわば「愚痴聞くのウゼー」という以上の何かをあのダイヤリーに感じて、苛立ちのもっと奥にある原因を勝手に妄想した結果です。ですから、ふたりの匿名さんは妄想上の特性の持ち主として例示させてもらっただけで、特に彼ら個人に批評を加えようという意図はありませんでした。要するに文章表現が拙いせいで、話の一般化に失敗しているということですね。面目ないです。

とってもためになる話で御座いました。
僕は非難せずにいられない側の人間なので、彼らの気持ちはよく分かります。これってアレですよね、「弱いものが夕暮れさらに弱いものを~」的な。
人がどうこう言ってることにイライラしているようでは、まだまだ下の下、ということなのでしょうか。まさにデススパイラル。

> basutaさん
こんなことを書いていても、非難したくなる人の気持ちは分かるんですよね。というより、自分の中にもあり得るものとして、どうしてそういう気持ちを持ってしまうんだろうという自問自答に近い思考の軌跡がこのエントリーだともいえます。そして、このエントリー自体がそうした弱い心を非難せずにはいられなかった結果ではないのか、という非難すら、甘んじて受けるよりないのだろうな、とも思います。だとすれば、ぼくもbasutaさんの仰るデススパイラルに巻き込まれていることになります。

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