人生の勝ち負けを決めるのは誰か?

自分の人生を自虐的にまとめるのは簡単だ。

勝ち組になれなかったこと

この手の物語に自分をあてはめることは、ぼくにだって簡単にできる。今や懐かしさすら覚える「ヒルズ族」なんて言葉で「勝ち組」なるものが象徴されるなら、ぼくの現状などは文句なしの「負け組」である。「勝ち組」「負け組」というのは流行言葉だから、たぶん汎用的な概念ではない。いい換えれば、自分の価値観で勝ち負けを決められる概念ではない、ということだ。自分は非コミュで非モテでヲタニートだけど、エロゲサイトのアフィリエイト収入でなんとか食っていけてるし、大好きなアニメに囲まれて生きてるから余裕で勝ち組。…みたいな主張は認められにくい。

リンク先の自分語り風文章は「世間の価値観に流された結果、常に一歩ずつ出遅れた自分」という物語を書きたかっただけなんだろう。限りなくフィクショナルだ。大学のエピソードひとつとっても、世間的にはオシャレ優先リア充マンセーな価値観のキャンパスライフがごろごろしている。むしろ、リンク先に描かれるような大学生の姿は、高校で「すごいすごいともてはやされ」たような人たちの将来の姿じゃないかとも思う。逆に、リア充寄りに舞台を置き換えても、この匿名氏の物語は成り立つんだろう。恋愛至上主義についていけない自分、みたいなものを描けばいい。

つまり、件の人生は「選択的に」自分を負け側に分類する価値観を、適宜ピックアップして語られた物語ということができる。そもそも彼女がなれなかったという「勝ち組」とはどんなものなんだろう。小学生の時はスポーツ万能な女の子、中学では馬鹿だけどオシャレで可愛いくて、高校では一念発起みんなに頼られる秀才で、大学では人目もふらず研究に没頭する熱心な学生、社会に出たら要領よく仕事をこなすやり手のビジネスパーソンになりました。かの物語を反転すればこうなる。これが果たして勝ち組なんだろうか。ぼくには特に勝ち組的要素があるようには見えない。

これは何を意味するのか。そもそも件の匿名氏には「勝ち組」のビジョンがないのである。ただ漠然と、スポットを浴びてこなかったという自意識があるだけだ。この先、仕事ばかりしている負け犬どころか、やり手の若手営業マンに見初められて、劇的な大恋愛とはいわないまでも断る理由もなく何となく付き合ってめでたく結婚、そこそこに収入の安定した家庭で専業主婦をやり、やがて1児の母となる。…そういう人生が待っていたとしても、「勝ち組になれなかった」という物語を書き上げることは、いくらだってできるだろう。そんな価値観の選択にどんな意味があるのか?

現状をどう認識しどんな未来に向けて舵を取るかは、すべて自分自身にかかっている。


【関連して読んだサイト(追記)】
404 Blog Not Found:負け組と勝ち組の三つの違い
#ここのエントリーは質の落差が激しい。今回のは…解らなくはないけど、残念な部類。

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例によって、自分の存在をちょっとドラマタイズしてみる道具としての、手ごろな物差しとしての「勝ち組/負け組」というわけですね。

ポエム調の文体は、それはほんとうにぎりぎりのフェイタルな事柄じゃなくて、ちょっと浸ってみただけなのよ…という無意識のマーキングなんだろうな。

ところがこうした粗悪な物語と自分の現実認識を使い分けられないバカ正直なやつもいる。
フィクショナルなどんづまりの光景を現実に生きてしまう加藤予備軍みたいなのが…
なんかわたしはまだそういうバカの方が好きです。まだどこかに面白みがあると思う。救いのないユーモアみたいなのが。

普段はいやらしくもしぶとくもそれなりに「普通」に生きてて、たまにマジメになったらこういう上っ面なポエム唱えだす奴っていうのはどうしようもない虚ろな人間だと思いますよ。

> nbさん
この匿名さんの場合は、たぶん完全なウケねらいか、さもなければ完全な自己陶酔なんじゃないかと思います。ところが仰るように、一方ではこうした外部に規定される酷くありふれた物語を、ごく当たり前に現実として生きている人もいるんですよね。ぼくとしては件の匿名さんよりもむしろ、そういう不器用な層を想定して書いているところがあります。つまり、この手のナルシシズムに大真面目に共感して、あたら鬱をこじらせるような人たちですね。正直なところ、ポエマー(なんと間抜けな造語!)には、あまり興味がないので…。

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