こんな時代に人生設計などすべきではない

身も蓋もないことをいえば、どうせ本当には人生を設計なんてできない。

帰宅した。目がさえて眠れん。愚痴らせてくれ。

この匿名氏の見込みが甘かったとは、ぼくは思わない。年間約200万の25年ローン。博打だとは思う。が、年収630万時点でならさほど分の悪い賭けでもない。これで人生設計が甘いというなら、ローンを組んでいるすべての人が甘い。なにしろ、将来を約束されている人なんてひとりもいないのである。明日文無しにならないとも限らない。尋常に食えてきた人間には、収入が増えないというだけでも十分に悲観的な展望だろう。大幅な減収や離職の可能性まで織り込んだ人生設計を立てる人間なんて普通はいない。「いつでも独りで死ねる準備をしておけ」ということにしかならない。

今、最悪の事態を想定して人生を設計することにどれほどの意味があるだろう。それこそ、ストリートでも生きられる強さを身に付けるくらいしか有効な設計図が思い浮かばない。将来が不安だから結婚しないとか子供を持たないというのもひとつの見識である。年収2,000万の人間が大幅な減給に遭って、年収500万じゃ生きていけないと叫ぶ。見込みが甘いと責められる。そんな構図を見るにつけ思う。こんな時代だからといって年収2,000万の人間も年収2億の人間も、こぞって年収200万の人間と同じように粛々と生きる選択をしたらどうなるのか。賢明だといって褒めてあげるのか。

人生設計みたいなものは生きるための愉しみであるべきだ。自分を縛るために絵を描くんじゃない。進んで足を踏み出すために描くのである。見込みが甘いのが本来の姿だといってもいい。630万の年収が480万にまで下がることを想定しなきゃならないくらいなら、そんな絵は描かない方がいい。描いてしまったが最後、身動きがとれなくなる。決意した結婚を諦めたり、胎内に宿った命を諦めたりしなくちゃならないかもしれない。そんなことなら、とりあえず630万あれば大丈夫、と思って先に進んでしまった方がいくらかマシだ。将来480万になるか1,000万になるかは運でしかない。

匿名氏は、運悪く480万になってしまった。だからといって、家を買わない人生の方が幸せだったということにはならない。この不況時代にサラリーマンをやっているのだからと、悲観的で堅実な人生設計をして結婚も子供も車も家も諦めて生きていれば、深夜にバイトなんてせずに済んだだろう。だったらどうだというのか。もちろん、その方が性に合っているという人がいてもいい。結婚や育児や車や家だけが人生の彩ではない。堅実にストイックに生きること自体が生き甲斐になる人だっているだろうと思う。けれども、それはそれで幸せに生きられる人だけがやればいいことだ。

できるかもしれないことを諦めるための人生設計なんて、ぼくにはちっとも愉しくない。

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