人生が変わらないことは何かをやらない理由にはならない

ぼくは初めてAVを見たときも脱童貞したときも何かが変わったと思った。

私は脱童貞で人生が変わりました - A condom reduces your pleasure
404 Blog Not Found:無一文と似たもの

AVのお陰で本丸はおっぱいではなくお○ん○だったことを知り、以来、モザイクの向こうのそれを強く欲望する人生が始まった。後に脱童貞し本丸はお○ん○というほどその営みは単純ではないことを知り、必ずしもおっぱいやお○ん○にストレートな欲望を抱くだけではない快楽や精神的充足を求める人生が始まった。同時に、オナニーはセックスの代替行為ではなくなり、セックスとは別の快楽を追求するオナニーからは、代替行為としての虚しさが消えた。人生は変わった。欲望の形も行動の意味も何かを知るたびに変わっていった。まあ、だからどうした、という話ではある。

そうはいいながら、ひとつめのリンク先のいい分は案外実感として共感しやすい。要するに「パッケージを見て超期待して買ったAVも、実際見てみればガッカリすることの方が多い」という話である。ふたつめのリンク先には、「最初は結構いい感じでヌけたとしてもその興奮は減退の一途を辿る」という身も蓋もない現実が引用され、さらに「最初は可愛いと思っていた女優の肌荒れや大事な場所にある吹き出物に気付いてむしろ嫌悪対象になってしまった」という哀しい経験談が語られる。いずれもありふれた話であり一面の真理でもある。が、「やっても無駄」を意味はしない。

脱童貞すれば人生は変わる。人生が変わるというのは人が変わるということだ。ただし、その経験からどの程度の満足を引き出し、後の人生に影響を与えるかは人による。そんなことは当たり前だ。小学生の頃に野球に出会って人生が大きく変わる人もいれば、小さく変わる人もいて、ほとんど変わらないという人もいる。一冊の本で変わる人、ひとつの出会いで変わる人、一度のアクシデントで変わる人…それはもう色々な変わり方をするのが人生だろう。そうした様々な変化を経ても大局的に見てさして変わり映えのしない人生だと感じる向きもあろう。だから何もしないのか?

意識的に劇的な変化を求めるとき、それが叶えられることは確かに少ない。人間、変わろうと思えば変われるけれど、変わりたいと思ったほどには変われないものだ。その事実をもって、「脱童貞で人生が変わるなんて嘘だ」というのは乱暴だろう。その言種なら、何をしたって人生なんて変わらない。生きて死ぬだけだ。セックスをして死のうが、金持ちになって死のうが、発狂して死のうが、死刑になって死のうが、だからどうしたといえばそれまでである。どんな経験をどれだけ大切に思って生きるかは、自分で決めればいい。脱童貞が人生を変えた、という人がいてもいい。

極楽はない、なんて言葉を鵜呑みにして探しもしない人生を、ぼくはあまりお勧めしない。


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