- 適当に働いて、適当に遊んで、適当に生きて死ぬ
- この宇宙には結婚して“自由”が減る世界と増える世界がある
- 何者でもないぼくの「自己愛」の自分史
- 「ぼくは年間500冊」「私は質の50冊」「オレは本より実体験」
- 婚活男女が求めているものは結婚ではない何か
- 何をやっても「面白くない」のは何故か?
- ネト充もリア充も会社充もみんな勝ち組である
- 嫌なことを後回しどころかやらずに生きる方法
- こんな時代に人生設計などすべきではない
- 完璧主義という便利ないい訳
- 安っぽい自己啓発が共感を呼ぶ本当の理由
- 意図せぬ抑圧、或いは、同調圧力の犯人はあなた自身
- あらゆる価値付けを悪だと叫ぶ二元論者のあなたへ
- 無意識に自分の価値を過小評価する人
- 効率化を考えるのは最後の最後でいい
- 匿名ダイアリーの自分語り=物語化という病
- 人生の勝ち負けを決めるのは誰か?
- 世の中を動かすのは個人の意思を超えた何かである
- 他人の弱さを不快に感じる人の弱さ
- 社会に出る前に捨てておくべき3つの財産
- 学校は人間をGoogle化するためにあるのではない
- 成果を出せない人なんてひとりもいない
- 将来に希望を抱けない?何温いこと…
- 学歴と知と実利とは根本的に無関係
- 誰にも強く否定されない目標は夢ではない
- 仕事どころか何もかもが暇つぶし、から始まる愉しいM人生
- 「仕事」の半分は「きれいごと」でできている
人生が変わらないことは何かをやらない理由にはならない
ぼくは初めてAVを見たときも脱童貞したときも何かが変わったと思った。
・私は脱童貞で人生が変わりました - A condom reduces your pleasure
・404 Blog Not Found:無一文と似たもの
AVのお陰で本丸はおっぱいではなくお○ん○だったことを知り、以来、モザイクの向こうのそれを強く欲望する人生が始まった。後に脱童貞し本丸はお○ん○というほどその営みは単純ではないことを知り、必ずしもおっぱいやお○ん○にストレートな欲望を抱くだけではない快楽や精神的充足を求める人生が始まった。同時に、オナニーはセックスの代替行為ではなくなり、セックスとは別の快楽を追求するオナニーからは、代替行為としての虚しさが消えた。人生は変わった。欲望の形も行動の意味も何かを知るたびに変わっていった。まあ、だからどうした、という話ではある。
そうはいいながら、ひとつめのリンク先のいい分は案外実感として共感しやすい。要するに「パッケージを見て超期待して買ったAVも、実際見てみればガッカリすることの方が多い」という話である。ふたつめのリンク先には、「最初は結構いい感じでヌけたとしてもその興奮は減退の一途を辿る」という身も蓋もない現実が引用され、さらに「最初は可愛いと思っていた女優の肌荒れや大事な場所にある吹き出物に気付いてむしろ嫌悪対象になってしまった」という哀しい経験談が語られる。いずれもありふれた話であり一面の真理でもある。が、「やっても無駄」を意味はしない。
脱童貞すれば人生は変わる。人生が変わるというのは人が変わるということだ。ただし、その経験からどの程度の満足を引き出し、後の人生に影響を与えるかは人による。そんなことは当たり前だ。小学生の頃に野球に出会って人生が大きく変わる人もいれば、小さく変わる人もいて、ほとんど変わらないという人もいる。一冊の本で変わる人、ひとつの出会いで変わる人、一度のアクシデントで変わる人…それはもう色々な変わり方をするのが人生だろう。そうした様々な変化を経ても大局的に見てさして変わり映えのしない人生だと感じる向きもあろう。だから何もしないのか?
意識的に劇的な変化を求めるとき、それが叶えられることは確かに少ない。人間、変わろうと思えば変われるけれど、変わりたいと思ったほどには変われないものだ。その事実をもって、「脱童貞で人生が変わるなんて嘘だ」というのは乱暴だろう。その言種なら、何をしたって人生なんて変わらない。生きて死ぬだけだ。セックスをして死のうが、金持ちになって死のうが、発狂して死のうが、死刑になって死のうが、だからどうしたといえばそれまでである。どんな経験をどれだけ大切に思って生きるかは、自分で決めればいい。脱童貞が人生を変えた、という人がいてもいい。
極楽はない、なんて言葉を鵜呑みにして探しもしない人生を、ぼくはあまりお勧めしない。
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posted in 08.12.15 Mon
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