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- 「カワイイ」の功罪とコミュニケーションの強度
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- 承認という幻想をシェアするために
- 「空気なんか読めなくて良い」が欺瞞に見えるレトリック
- 悪意に当たって死なないためにすべきこと
- 傷つきやすい人が救われるために実践すべきこと
- 「馴れ合い」と「本気」を見分けることは本当にはできない
- コミュニケーション幻想
コミュニケーション不全者の欲情の表明が少女を不快にする
これはふたりの「関係性」の物語である。
・誰がための「オシャレな女」なのか? - 倒錯委員長の活動日誌
リンク先タイトルの疑問に、普遍的な答えはない。異性を欲情させるためのオシャレもあれば、同性同士の闘いのためのオシャレもあり、自らの立ち位置を表明するためのオシャレや、趣味としてのオシャレや、商売道具としてのオシャレや、表現としてのオシャレなんかもあるだろう。これらすべてを「自己実現」のひと言で片付けることもできる。当然、大好きなあの人に愛されることこそが「自己実現」だ、という人がいてもいいし、そのためにオシャレをするというのも悪いことではない。「女の価値」を売りにするためのオシャレだけを、ことさら別立てにする理由もない。
それを「女の価値」だけが「自己実現」とは別の何かであると考えるのは、そう考える主体の問題である。要するに、リンク先のブログ主は「女の価値」に(少なくとも他の可能性を捨象できる程度には)執着があり、その執着は件の従妹にまで向けられる類のものだった、というだけのことである。端的にいえば、ブログ主にとって従妹は「女」だったということだろう。こんな話は別に珍しくもないし、特に責められるような話でもない。唯一の失態は、自らの「男の視線」を受容されるだけの関係性を築けてもいない少女に、その欲情を表明してしまったことだ。これはイタい。
たとえば、少女にとってブログ主が「(性的な意味も含めて)憧れのお兄さん」であったなら、実際に性的関係を結ぶなどといった形而下的な想像の有無は別として、少なくとも本気で怒りはしなかっただろう。照れるとか喜ぶとか、それこそみんなの大好きな「それなんてエロゲ」状態になったかもしれない。だからこれは「何をいったか」ではなく「誰がいったか」問題なのである。「お疲れさん」といって肩をポンと叩いたのが、憧れのイケメン営業マンなら思わずポっと顔を赤らめるけれど、煙たい上司のハゲ親爺なら顔を真赤にして「セクハラだ!」と怒るのと同じである。
つまり、ブログ主に足りなかったのはセクシュアリティに対する配慮なんかではない。十分なコミュニケーションと、それに基づく良好な関係性の構築だ。それがあれば従妹のオシャレが「モテるため」なのか「彼氏のため」なのか「友だちの影響」なのかといった情報をキャッチすることは難しくなかっただろうし、自分の「性的な視線」が受け入れられるかどうかの判断もある程度はできたはずである。そうした関係性の構築をすっ飛ばして「女の価値にきづきやがって」などとのたまうのは、さしたる付き合いもない巨乳の同僚に「おっぱい揉みてぇ」とかいうのと変わらない。
無差別な欲情は仕方ない。が、無差別な欲情の表明はみっともないし、ときに有害だ。
【 関連して書いたエントリー 】
・少女の何を守り、何を尊重するべきか|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記
#みっともない自己弁護だと思われる危険を冒してあえて書いてみた。
posted in 09.07.22 Wed
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comment - コメント
・・・どこからどうこのねじれた誤解を解いたらいいのか分かりません。・・・途方に暮れてます。「何を言ったか」という問題ですよこれは。そして、ブログ主さんはそれもはっきり分かってます。つまり、一種の確信犯です。自分に「女の価値」が向けられていないと言う僻みはあるいはあったかも知れませんけどね。・・・もし、この娘がブログ主さんの理想とする、女性だったら、手を尽くして褒めた筈。しかし、それは「男女間のコミュニケーション」ではもはやありません。ホテルに行くための前戯にすぎません。・・・なんか、(この表現ダサいから使いたくなかったけど)男って、女の精神性ってついに愛せないんじゃないかと、ふと絶望的な気持ちになりました。
posted in 09.08.25, by faye2071
> faye2071さん
誤解かどうかはともかく、件の人があそこに「書いてないこと」を、ぼくがここに書いていることは確かですね。ぼくは他人の心なんてまったく読めませんし、類推した内容が必ずしも元記事の「真実」を射抜いているとも思ってはいません。こういうものは、結局のところ「ぼくが」あれをどう見たか、という話でしかないんでしょう。ところで、男は女の精神性(或いは、人格といわれるようなあらゆる関連属性の総体)を愛さず何を愛するんでしょうね。少なくとも「女性性」のみを愛するというのは現実的ではないように思います。個人的にも、相方の「女性性」というのは極めて小さな部分でしかありません。絶望というなら、人間同士のディスコミュニケーションみたいなものは大いなる前提であって、今更、絶望するようなものでもないと思いますし。
posted in 09.08.25, by lylyco