ネットでよく見る助言好きはリアルでも助言しまくりなのか?

はてな匿名ダイアリーなんかを眺めていても積極的な助言者というのは多い。

恋愛について、家庭生活について、就職について、労働について、様々な問題を抱えた人がネットにその心情を吐露する。そんな独白がひとたび注目されると、頼まれもしないのにアドバイスする人が相当数出てくる。ぼく自身、思い付いたアドバイスの内容が自分なりに面白かったりすると、ついブログにエントリーしてしまったり、ブックマークコメントに殴り書いてしまったりする。そこには「巧いこといって感心されたい願望」や「人に頼られたい願望」や「他人に影響を与えたい願望」や「あわよくば感謝とかされてみたい願望」なんかが渦巻いていて我ながら無責任なことだと思う。

そもそも、ちょっとネットに溢れ出てしまった真情吐露なんて、およそ問題の極小さな一側面にすぎない。それに色んな人の反応が積み重なって、書き手のキャラクターがネット上に形作られていく。そんな前提で書かれる助言なんて、まさに屋上屋を架すようなものだろう。極端な話が、助言する対象を自分の助言に合った形に想定できるのだから、これほどアドバイスしやすい相手はない。存分に熱弁が揮える。けれども、それが的を射ている可能性は著しく低い。当然だろう。これはほとんどの場合、助言という名の娯楽やポジショントークの類であって、いわゆる助言とは趣を異にする。

だからネットの助言は無価値だとかいいたいわけではない。助言者が勝手に想定したようなキャラクターが回線の向こうにいる可能性はある。それが真情吐露した元の書き手である必要はない。リアルの助言と違って、それは一般に公開されている。どんな的外れのアドバイスも誰かの役に立つ可能性はある。そんな胡乱な行為をも有意義と考えるかどうかは、まあ、個人の勝手である。翻って、リアルの助言はどうか。これは明確に相手がある。その人にとって有用でない助言は端的に無意味である。相手が親しい相手であればあるほど判断材料は多岐に亘り、当然、助言は難しくなるだろう。

自らを省みるに、リアルで独自の見解を元に助言するなんてことはまずない。相談を受けることはある。助言もする。けれども、ぼくがこのとき実際にしていることは「相手が本当はどうしたいのか」を聞き出すことである。そして、助言の形を取りながら彼の背中を押しているにすぎない。これはほとんど「やりたいことをやれ」といっているに等しい。こんなものはアドバイスでもなんでもない。別に責任の追及を恐れてそうしているわけではない。いずれ悪い結果になったとて、ぼくには謝って愚痴を聞くなりまた相談に乗るくらいしかできることはないのである。責任など土台取れない。

さて、ネットでアドバイスに奔走する人たちのリアルはどうなんだろうか?

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comment - コメント

こんにちは。

自分で真剣に考えたり調べたりしてわからないことを、ネットで誰かに尋ねて解決したということが、
一度たりとも覚えありません。
 
むしろ世の一番どうしようもない手合いが「回答者」として集まるのが、
ネットの「助言/質問掲示板」みたいなところだという印象すら持っています。

いまやわざわざ教えを乞うて意味のあるようなお人は匿名でネットをウロウロしたりなどしてないのでしょう。
クローズドネットだったころのパソコン通信のフォーラムなんかですとまた別だったのか知れませんが。

ところで“相手の本当にしたいことを自分で口に出させた上で背中押してやる”というのは、
これは腕のいい占い師のやり方というのは基本的にこれだそうですけども。
ひとつ違うのは、人気占い師はただ背中押すのでなく、そのとき「強い肯定」の暗示を一発、ふりかけてやるのでしょう。たぶん。

わたしにはこれがどうしてもできません。
「他人に状況を整理して欲しい人」「背中押して欲しい人」がすり寄って来ると反吐が出そうです。
いや、前者だけなら場合によってはご助力いたさないものでもないですけども。

自分が決断力みなぎるタイプかといえば全くそれは違うのですが。しかし単純に同族嫌悪などというものでもない。
背中押すどころか泣かせたあげくいらぬ恨みを買ってしまいます。

> Nさん
なかなか手厳しいですね。確かに、昨今のYahoo!知恵袋だの、教えてgooだのといったあたりを見ても、すでに本来の目的から外れてネタの発表会か化かし合いの場のようになっていますが。まあ、利用者が本来のコンセプトを離れて自由に遊びだすというのは、ネットではよくみる光景でもあります。
真情を引き出す技術も演出技術も特に持たない未熟なぼくに占い師は務まらないでしょうが、まあ、それなりに付き合いのある相手の気持ちならある程度は察することもできる、と、せいぜいその程度の意味合いでエントリーにはああ書きました。それに、ぼくが真面目に話を聞く相手は、そもそも親しい友人に限られています。相談しにきた相手を泣かせたことは…さすがにありませんねぇ。相談なんてされると承認欲求が満たされる気がして嬉々としちゃう人さえいそうな今の世の中で、Nさんみたいなタイプは案外稀有な人柄かもしれません。

まあ「釣り質問」とかその手のナニは子供の遊びとして勝手にやってなさいという感じですけども。
自分では純粋な親切のつもりでやってるほうが結果としてはよろしくないですね。

匿名での助言の場、あるいはそれが可能な場というのは
大真面目の専門家先生気取りで、知ったかぶりをつつかれでもすれば本題そっちのけで大喧嘩したり、
勝手に状況補完・自己投影して熱く励ましたり、逆にやくたいもない説教ぶちかましたり、
どうしてもそういう手合いにばかり居心地の良い場所になりまさっていくのだろうと、そのように思っております。

聞いた話を整理して返し、決断のポイントと個人的意見を示して
「じゃ、そういうことで」と終らせようとすればまだなにやら不満顔、
「それだけじゃなくて…」と、聞けば聞くほど関係ない話がずるずる出てくる、
こっちもうんざりなら向こうもこんな奴に話すんじゃなかったと言いたげな後悔面、
要するになんだ? 俺は野地蔵みたいな笑顔でお前が話し足りるまで「うんだ、うんだ」しか許されんのか?
「この餓鬼…!」抑えられない怒りが湧いて来る。

いやまったくの個人的な余談ですみませんが。

> Nさん
「勝手に状況補完・自己投影」は、結構基本のような気がしますね。まあ、それについてはエントリーにも近いことを書きましたが。あとはそれを「つまらない」と思うかどうかってだけの話で、ぼく自身は判断を保留しちゃってるわけですが…。
個人的な余談、大いに結構ですよ。ブログのコメント欄を開放しているのは、むしろ、そうした個人的なお話を拾える可能性があるからでもありますし。ともあれ、実のところ、ぼくとて相談の大半は愚痴にちかいものだと思っていたりします。

お久しぶりです。
ネット上の相談に真摯に助言されている方も多いとは思いますが、「それができたら悩みなんかないんだよ~!」って感じの助言が多いような気がします。
それができないから悩んでいるわけで、正論を吟じられても「はあ…まあ…そうですね~。」です。

要するに悩みは自分で解決するしかないわけで、悩みを聴く愚痴を聞くのは、悩める人にとってのカタルシス効果を期待するからです。
自分の心を整理して、自分で解決策を見出す糸口を掴むきっかけになればいい。

りりこさんがおっしゃるように、土台責任なんて取れない。
相談を受けたものは、只背中を押すにすぎないのです。
だから私は「私はあなたの悩みを解決してあげることはできないよ。悩みを解決できるのは自分自身だからね。」と言います。

> makotoさん
どもです。結局のところ、いわゆる「相談」と呼ばれるものの中には、その実、相談じゃないものが相当数含まれる、ということなんですよね。愚痴や独り言みたいなものを適宜判別して、相手が本当に助言を求めているらしいというレアケースについてのみ、自分にそれ相応の引き出しがあるならアドバイスしてみてもいいかな、くらいのスタンスが現実的かもしれません。そうすると、実務的なことを除けばほとんどアドバイスすべきシーンなんてないようにも思います。

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