「空気なんか読めなくて良い」が欺瞞に見えるレトリック

過剰なレトリックは本質的なところを見失わせるのかもしれない。

MORI LOG ACADEMY: 空気なんか読めなくて良い

このエントリの筆者は作家なのだから、ある程度レトリックについて自覚的なはずだ。「僕は、生きるということは、そういうものだと感じている」という一文までは、表題と無関係ながらまあ分かりやすい話だと思って読んでいた。問題はその先だ。表題の「空気なんか読めなくて良い」にはまったく同意する。だから読んだ。どんな書かれ方をしているのか興味を持ったからだ。率直にいうと、失望した。こんなことを書くとファンの人は気を悪くするかもしれない。人を不快な気持ちにさせるのは本意ではないけれど、この引っかかりはちょっと看過できない。

空気を読め、という言葉が些か暴力的に乱用されることをぼくは好まない。けれども、これは程度の問題だとも思っている。空気を読め、が尤もだと思える場合だってやっぱりあるからだ。場の雰囲気を察するとか、他人の気持ちを慮るとか、ときにはそういうことも大切だろう。あまりに社会性に欠けた自己中心的な行動に対して「空気読め」と思うのは極自然な感覚だと思う。節操のない流行り言葉で表現されたからといって、その大切さが失われるわけではない。ぼく自身あまり気の回らない性質だからか、きちんと気配りができる人というのを尊敬してもいる。

たとえば、団体行動中のこと。中に急いでいる人がいるから、ランチの注文はみんな同じメニューで揃えよう。そんなときに独りだけ時間のかかりそうな天麩羅定食を頼む。些細といえば些細なことだ。ごめん、遅れて追っかけるからみんな先に行ってて。これがいえればOKだと、ぼくなんかは思っている。無理に他人に合わせはしないけれど、状況はちゃんと見えている。つまり、空気は読めていると思うからだ。問題は、そんな周囲の状況がまったく見えていない場合だ。その一事をもってダメ人間とまではいわないけれど、ちょっと鈍感だなぁとは思ってしまう。

過剰に自分を殺して人に合わせることと、周囲の状況に鑑みて適切に行動することとは同じではない。それをどちらも「空気読め」で済ませるからややこしくなる。後者の意味で使うなら、きちんと空気が読めることは美点のひとつといっていい。もちろん、それが上手くできないからといって、ダメ人間のようにいうのはあまりに大人気ない。そういう意味で「空気なんか読めなくて良い」とぼくは思っている。人には得手不得手がある。上手く空気が読めず、場の雰囲気を乱す人はいる。ただし、その一点をもって欠陥人間の烙印を押すなどはあまりに暴力的だろう。

そこで冒頭のリンク先、最後の一文だ。「一番つき合いたくないのは、空気を読むことしかできない人間である」…はてブなど見ると、割と好意的に捉えられているようだ。そもそもそんな人間がいるのかという問題はさておき、ぼくはここにKY非難と同種の暴力性を見る。果たして「空気を読めない人間とは付き合いたくない」と「空気を読むことしかできない人間とは付き合いたくない」の間にどれほどの違いがあるのか。これでは非難の対象を裏返しただけではないのか。どうして「空気を読む読まないとその人の価値とはまったく無関係だ」といえなかったのか。

表題を裏返すレトリック的にキレイなオチが、それまでの話を台無しにしている。

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comment - コメント

森氏は「気配り上手」を非難しているわけではないと思います。

> ?さん
それはその通りだと思います。白状すると、「空気を読むことしかできない人間」というのがどんな人間を想定しての言葉なのか、ぼくにはよく分かりません。「空気なんか読めなくて良い」けれど、「空気を読むことしかできない」人も拒絶して欲しくはなかった。つまり、どちらも許容する態度の方が主張としては一貫性があるのになあと思っただけなのです。こっちはいいけどあっちはダメという言い方は、結局KYを非難する人と同じ態度にすぎないよね、って話のつもりでした。ともあれ、誤解を招くような文章になってしまって申し訳ありません。

「空気読め」を絶対視するな、という論旨には賛成だが、「空気を読むことしかできない人間とはつき合いたくない」というのは「空気」を軸に抑圧の方向を反転させただけであり、レトリカルな表現に引きずられた失言であるということですよね。
それは誤解だと思います。

まず前提として、「空気を読む」ことはそれ自体を目的とできるような、独立の徳目ではないですね。

何らかの目的を有する集団(共倒れだけはごめんだ、という目的のみを共有した、バラバラな目的を持つ個人の集合も含む)を、その共有された目的意識に照らして最適化するという意味合いにおいては、「空気を読む」ことには積極的価値が認められる。
この意味での「空気を読む」は、しかしそのような新語を要しない。「気遣い」ですね。
一方、集団の維持以外の目的を見失った集団においては「空気読め」は恣意的な抑圧としてしか機能しない。

「目的」という表現が話を局限し過ぎるとすれば、全体の見通しの有無としてもよい。
「常識外れなことをするな」という要請には、それって本当に世間の常識か?という、外部への意識がある。その「場」そのものをより広い世界から俯瞰する、相対化の契機が含まれている。
ところが「空気」は伸縮自在であり「外部」を持たない。それぞれの「場」と「世界」の区別は意識されない。

つまり「なぜ?」「なんのために?」という反問に誰も答えられない状況において、それらを封じた上で発するために選ばれがちな便利な要請の言葉が「空気読め」であるとも言えるでしょう。
また、展望を欠いた場に思考を閉じ込められているという意味では、ここには一方的な抑圧者は存在しない。その意味でも「空気読め」の主体の希薄さはよくニュアンスを捉えているのでしょう。

ここまでの文脈に照らして言うと、「『空気を読め』の暴力的乱用」は「程度の問題」ではなく質的問題ですね。仰るように、言葉の使いまわしから生じた混乱でしかない。

さて、私なりに「空気読め」を整理し直した上で(どこが整理かという悪文長文ですが)何が誤解なのか、という話ですが。

まず、森博嗣氏の書かれた「…生きるということは、そういうものなのだと感じている」までの文は…
乱暴な要約ですが、“眼前の問題を凝視しこねくり回していても、その閉じた思考の場が自ずから解けることはなく、むしろ逆効果である。しかしおよそ無関係な一時しのぎに見える要素を放り込むことで、一歩引いた視界を獲得することもある”という示唆であると思います。
つまり視野狭窄的な主観の世界で行き詰っている「空気読みすぎる人」、私の言う「敗北を先取りする人々」に寄せる言葉だと思います。その文脈において決して「表題と無関係」ではない。

それに続く「基本的なことで…」は、気遣いとは常に手段でしかないということを言っている。手段にかまけて目的を見失うなという示唆ですね。

次に、本題の「空気しか読めない人」とは…
「空気読みすぎる人」が閉鎖的な思考の場で不利益しか受け取っていないのに対し、あえてその場でしか通用しない「正義」と同化することで何らかの利益を受け取っている人、ではないか。
私の表現で言えば「思考停止を快とする人々」がそれに当てはまる。
無論、これは特定の、例えば2ちゃんのニュース系板なんかに巣くってる奴はみんなそうだ、というようなレッテル貼りではなく、人間のひとつのありようについての表現ですが。
そのようにある人々には、外部からの声は一切届かない。有効なコミュニケーションの方途が無い。その意味において「付き合いたくない」と言って表現がきつければ「付き合いようがない」と、私も言わざるを得ない。
「政治的ゾンビ」は実在します。初めは現実への不安、防衛機制によるものだったかも知れない思考停止状態が、他人の論理を封殺する道具にもなると気づき、味をしめた人間というのは。

また無論ながら、それは決して調整役に徹するタイプの人のことではない。能動的にそのような立ち位置を選び取っている人は、「空気」に翻弄されるタイプとは全く異なる。

以上のように、森氏の書かれたところは、私には首尾一貫したものとして受け取れます。
ちょっと気の利いた対句的な表現がしてみたくて最後に筆が滑った、という風には全く読めないのです。

> nbさん
なるほど、そこまで掘り下げて解説されてしまうと、ぼくが斜め読みで誤爆の愚を犯したといわれても仕方ないですね。あの最後の書きぶりから、空気が読めずとも面白い人はいるが、空気しか読めない人間はつまらない、といってるように思えて、つい脊髄反射的に反応しまったといったところでしょうか。どちらかといえば自分はオリジナリティのないつまらない人間だという自覚があるので、コンプレックスからでた反感が根底にあった可能性は否定できません。
オリジナリティ幻想のいまだ根強い世の中にあって、平凡とかつまらないとかいう評価は、なかなかにキツい人格否定の色があるなぁと感じることがあります。もちろん、あの文章の意図がnbさんの仰る通りだとすると、「空気が読めない⇒オリジナリティのある人もいる⇒付き合う(≒人として)価値がある」、「空気しか読めない⇒オリジナリティがない⇒付き合う(≒人として)価値がない」とも読めてしまう、というのはただの難癖の類ということになりますが。
いずれにしても、この「空気を読む」という慣用句は定義次第でかなり文意の解釈に幅がでてしまうようです。実際の使われ方を具に収集分析でもしない限り、自分の皮膚感覚だけで的を射た議論をするのはちょっと難しいのかもしれませんね。

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