偽物のポジティブを、殲滅せよ

ポジティブを装ったタチの悪い欺瞞が、ウイルスのごとく蔓延している。

ぼく自身、生来あまりポジティブな人間とはいえない。だから、なおさら目に余るのかもしれない。それにしても、だ。たとえば、ライフハックだのフリーランサーだのスタートアップだのといった界隈の胡散臭さ!これはもう、格別だ。ちょっと鼻をつまんだくらいじゃ防ぎきれないレベルの腐臭を発して、止まるところを知らない。しかもそれは、一見、ポジティブを装っている。包装紙も、熨斗も、風呂敷も何もかもがポジティブだ。もはやパソコンの前にいるだけで満願成就して生涯幸せになれるんじゃないかと思うほどである。が、そんなうまい話はない。せいぜい奇人だけが使える劇薬が少々、残りはただの欺瞞である。

○ 欠点を誤魔化すためのポジティブ

たとえば、自尊心が強すぎて他人とうまくやっていけないことを、自立心が強くて馴れ合うことが苦手などと言い換える。あるいは、どんな仕事についても続かないことを、ひとつのことに縛られない自由な生き方だとかいってみる。確かに、人間の資質についてあまりネガティブに考えるのは得策じゃない。けれども、こんな「表面的な言い換え」は、一時的に気持ちよくなるか、ただ判断を誤らせるだけだ。悪質な誤魔化しにすぎない。そもそも、資質そのものにはネガティブもポジティブもない。表面化のプロセスに問題があるからネガティブな事態を引き起こす。そのプロセスを改善する思考が本来のポジティブ思考だろう。

○ 嫌いなものをディスるためのポジティブ

たとえば、フリーランサーの素晴らしさを喧伝する言葉の端々に不自由な会社員は不憫な社畜だとかスキルの低い残念な人だとかいうイメージをチクチクと織り込んでみせる。あるいは、ノマド礼賛のクールな流行歌を気持ちよく歌い上げるポーズでオフィスワーカーの時代遅れを見下してみせる。そんな「イケてるビジネスパースン」たちの言葉がそこいらじゅうにゴロゴロしている。彼らの言葉はたいてい一様にポジティブで、「あらゆる旧弊な価値観から自由な自分」を描き出してみせる。けれども、偽物を見破るのは簡単だ。「対象物を貶めることで成立している」ようなポジティブはすべて偽物である。信じるに値しない。

○ 黒を白に偽装するためのポジティブ

たとえば、ただ場当たり的で節操がないだけの方向転換を「ピボット!」といってみたり、最低限の準備すらせず拙速かつ無思慮に美味しそうなところから手をつけてみることを「リーンスタートアップ!」といってみたりする。こんな風に、舶来のポジティブなイメージの新語を愚行のエクスキューズに利用するなどは、典型的な欺瞞だろう。石橋をN2爆雷で粉砕して回るような臆病と保身の過激派がネガティブの破壊神なら、派手で無謀な作戦命令を連発して前線部隊を踊り殺す快楽主義の司令官はポジティブの破壊神である。兵力を毀損したうえ、ぺんぺん草も生えない不毛の焦土を量産して回るのだから、迷惑このうえない。

他にも「やる前からやった気になれるポジティブ」やら「インターネットの効用を過大評価するポジティブ」やら「SNSの人脈を過信するポジティブ」やらと面白い事例には事欠かない。あからさまなポジショントークや営利パフォーマンスも少なくないだろう。この情報の大海原でそんな耳触りのいいセイレーンの歌声を耳にしたときは、おもむろにポケットからイヤホンを取り出して北欧産デスメタルでも聴くといい。ああ、世界は絶望に満ちている。生きることは苦しみだ。ときには気休めもいい。が、ネガティブをネガティブとして受け止めないようなポジティブは嘘だ。それも甘くて癖になる。偽物のポジティブは麻薬だ。

心の隙間に付け込まんとする、売人たちの甘言を真に受けてはいけない。

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