無駄遣いをなくすための2つの判断基準

自分に「本当に必要なもの」だけを手に入れる。

いうほどに簡単なことではない。そもそも「必要」という言葉は誤解を生みやすい。解釈に幅がある。たとえば、ギリギリ命をつなぐ「必要最低限の衣食住」以上のものはすべて余剰だという見解はあるだろう。或いは、命をつなぐ「必要」さえ確かなものではないのだから、どんな「必要」も主観の問題にすぎないという見解もむろんあり得る。とはいえ、いま目の前に欲しいものがあるというときにそんな前提から考えていては日常生活に支障をきたす。だから、ここでは目の前のそれの必要性を量るのに比較的「汎用性が高く」、そこそこ「実用的」な基準を2つ提示してみる。

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・それを買ったときの満足感や幸福感の大きさ

何かを買うとき、よくよく考えてみると「必要だと思い込んでいるもの」や「不要だと思い込んでいるもの」というのは、たぶん、少なくない。他の誰かに必要なものが自分にも必要だとは限らないし、他の誰かに不要なものが自分にも不要だとは限らない。そんな思い込みのせいで、買ったのにさして満足を得られなかったり、買えば満足したはずのものを我慢してしまったりする。それだけじゃない。「欲しいと思い込んでいるもの」とか「買うのが当たり前になっていて自動的に買ってしまっているもの」なんて性質の悪い思い込みまである。それは「本当の満足」を遠ざける。

要不要はその都度、自分の意思で決めればいいのである。「当たり前」はない。その前提を銘記して目の前のそれを見つめ直す。基準は「満足度」。それだけだ。そのパケット定額制は本当に必要か。どこかで後ろめたく思っている趣味の同人誌コレクションは、本当に後ろめたく思うような不要の出費なのか。その長編マンガは本当にいまだ買い続けるほど愉しめているのか。毎日昼休みのたびにコンビニに立ち寄っては要らないものを買い込んではいないか。満足度の低い瑣末な快楽のために散財するから「何に使ったのか分からないのにお金がない」なんてことになるのである。


・それを買わなかったときのストレスや損失の大きさ

もうひとつ、やっぱり正反対の基準も考慮すべきだろう。買ったときの満足度は低くても、買わないことのストレスが高すぎる。そういうものはあると思う。ある人にはそれは「煙草」や「お酒」かもしれない。或いは、未読の本が常に手元にないと落ち着かないという人もあるかもしれない。もっと切実なところでは食糧や衣料品なども、買ったときの満足度はそう高くないかもしれない。グルメやファッションに興味がなければ、どちらも「必要に駆られて」買う程度のものだろう。けれども、それらなくして生きていくことは難しい。飢餓のストレスを軽く流せる人は稀だろう。

だから、たとえ満足感や幸福感が低くても買うべきものというのはある。そういうものに支払うお金は実はお金ではない。お金というのは「何にでも交換可能なもの」である。最低限の食費なんかは「食糧以外のものに交換できないもの」なのだから、それはすでにお金ではない。お金の形をした食糧そのものである。まだある。たとえば「身だしなみなんて興味ないしどうでもいい」といってお金をかけず社会性を著しく棄損した場合、その損失の大きさは「無駄遣いをなくして得たプラス」を大きく上回って赤を出す可能性がある。その辺りも冷静に、総合的に判断すべきだろう。

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以上が、ぼくが考える「本当に必要なもの」の基本的な見極め方である。

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