楽しみをルーティン化しない

実は、自分を縛るのは快感だ。が、縛りすぎると苦しくなる。

インターネットを有効に活用している。そんな人ほど「効率化」という言葉に魅せられがちなんじゃないかと思う。そして、日常を「ルーティン化」してしまう。通勤電車では英会話の勉強。会社に着いたらまず一番簡単な仕事をひとつ片付けてからメールをチェックする。ToDoを確認し、新たに加えるものを加えたら、優先順位を付けてひとつづつ片付けていく。昼休みは外出せず軽く糖分を補給するくらいですませ、その間、脳のテンションを落とさない程度にネットでニュースやなんかをチェックする…。そんな具合に生活をコントロールするのは悪いことじゃない。

ただ、これが昂じて自分の楽しみまでルーティン化してしまってはいないか。楽しみというのは本来ルーティン化できないものだと思う。確かに、ぼくたちは忙しい。時間は有り余ってはいない。有効に使わなきゃ、いつの間にか指の隙間から零れ落ちてなくなっている。家に着いたらプライベートのメールをチェックし、RSSリーダーから気になるエントリーを拾い読みし、はてなの注目エントリーを眺め、ブログを書く。平日はせいぜいこれくらいでゲームオーバー。プライベートの時間もやることは毎日毎日同じことの繰り返し。趣味と義務の境界すら曖昧だ。

土曜日は毎週必ずデートをする。買い物、お茶、ディナー。日曜日は運動と映画の日。午前中、いつものコースをiPodと一緒に走る。帰宅して汗を流したら午後からは劇場かレンタルで映画を観る。夜、レビューをブログにアップする。空いた時間は本を読む。そんな風にして、日常のルーティン化は進行する。どんなことも、やり始めたときは楽しい。だから、ずっとやろうと思う。継続は力なんて言葉もある。けれども、過剰なルーティン化は愉しむという本来の目的を見失わせる。「月水金の晩は必ずセックス」なんて決めてことに及ぶのはときに苦痛だろう。

もし、なんだかよく分からない閉塞感に囚われたなら。もし、有意義な毎日を楽しめていない自分に気が付いたら。とりあえず、自分の楽しみまでルーティン化してしまっていないか確認してみる。デートの約束は当日すればいい。どうせ会いたくなるんだから。何をするかは会ってから決めればいい。映画は観たいときに観ればいいし、つまらなかったらレビューなんて書かなくてもいい。書きたいような映画だったなら、放っておいてもどうせ書かずにはいられない。いわんや、セックスにおいてをや、だ。別に、無理にいつもと違ったことをしろというわけじゃない。

ただ本を読むためだけに、一杯千円の珈琲を飲みに行くだけでもいいのである。

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