ランニングなんてそうそう続くものじゃない

ランニング礼賛のシュプレヒコールが鳴りやまない。どれも実に胡散臭い。

曰く、心も身体もリフレッシュ、ポジティブ回路全開でビジネス生産性が急上昇!曰く、増える一方だった脂肪もバカスカ燃焼!そのうえ三度のメシが超絶美味い!曰く、心地好い疲れのおかげでぐっすり快眠!みるみる健康体になって毎日が充実!曰く、いままで身近にあって気付かなかった素敵な景色や季節の移ろいを肌で感じられて感動がとまらない!曰く、ただ走り出すだけですべてが好い方向に回りだす!ポジティブフィードバックの坩堝!ランニング最高!…とまあ、鼻息の荒いこと夥しい。嘘だ、とまではいわないが、大変に胡散臭い。信じる者は救われる。この手の礼賛記事の本質はこれだろう。ファッキンライフくらいわかるよバカヤロー。

指が滑った。ランニングの話だ。はっきりいって、ランニングがそんなに魅力的なスポーツだとは、ぼくにはとても思えない。何しろ地味だ。達成感も成果も何もかもが地味だ。「簡単だ」ということは「つまらない」ということでもある。何事もゼロからイチへ進む瞬間というのは気持ちの好いものだ。ランニングだって重い腰をあげて走り始めた瞬間は楽しいものだろう。それこそ礼賛記事にあるような充実を得られるかもしれない。けれども、それらほとんどの感動はあっという間に「当たり前」に化ける。これまで気にもしていなかった身近な風景にちょっと目が向いたからといって、毎日感動し続けられるようなやつはそういない。早晩、飽きる。

まだある。ランニングにはおよそ「わかりやすい次のステップ」が用意されていない。複雑なスポーツには段階的な上達のステップがあり、初心者には短いスパンである程度の達成感が約束されていたりする。難易度が高ければそれだけ挫折する人間も多いかもしれない。その分、成功体験がもたらす快感も大きい。ランニングにはそれが欠けている。あるのは「距離」と「時間」と「継続」くらいのものだ。3km で音をあげていたのが 5km 走れるようになった!平均 8分/km のラップタイムが 7分/km まで縮んだ!ランニングを始めてから明日で 100日目達成だ!そんな「地味な喜び」を継続的に享受し続けられる人間がはたしてどのくらいいるだろう。

「継続が力」なのは、それが一般に困難だからだ。周囲を見回してみてもランニングを始めたという人は多い。自分が始めただけじゃ飽き足らず他人に勧めている人も結構見かける。けれども、ほとんどの人はしだいにランニングの話をしなくなる。Twitter や Facebook を賑わしていた Runmeter や Nike+ の自動投稿がパタリと流れてこなくなる。走れなくなる理由はいくらでもある。体調を崩した、仕事が忙しくなった、関節を痛めた…その後、復帰する人は少ない。観測範囲が狭い、といわれればその通りだろう。けれども、ほんの1年ほどでも走ってみればわかる。すれ違う顔触れがどんどん変わっていく。中でも、冬や夏を越えられる人は極めて少ない。

かれこれ1年と少し、週3日か4日を目安に走っている。体調や気分によってはまるまる1週間走らないなんてこともある。いまのところ続いているのは、走り始める前の体力の落ち切った自分を、いまだ鮮明に覚えているからにすぎない。30代も半ばをすぎてまるで体を動かさない生活をしていると、様々に不具合がでてくるものだと身をもって思い知らされた。走り始め、自分はこんなにも走れなくなっているのかと愕然とした。太っているわけでもないのに身体の節々が痛んだ。走るのが気持ち好いなんて、自分を鼓舞する言葉でしかなかった。その実、衰えに対する危機感だけが、ほとんど唯一のモチベーションだった。1年で身体は明らかに楽になった。

ランニングを続けることで、確かに日々の生活サイクルは変わってきた。朝走るために夜更かしをやめた。早く寝るために遅くまで残業するのをやめた。もちろん仕事量は減らさないように調整している。意識し始めたせいか、かえって効率はあがっていると思う。比較的早く帰宅するようになると夕食を抜くことがほとんどなくなった。朝、音楽を聴いたりコーヒーを飲んだりする余裕もできた。ランニングがどうのというよりは、こうした全般的な生活サイクルの改善が心身に好い影響を与えているんだろう。ランニングも悪くない。心底そう思っている。

それでもなお、ランニングなんていつやめてもおかしくない、と思い続けてもいる。

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