経済脳の恐怖 ~「ためにならない」行為とその意味

あなたのその行為にいったい何の意味があるのか?

こうした問いは、ときにぼくを困惑させる。そもそも、ここでいう「意味」なんてものは、極めて限定的にしか存在しない。そのことに自覚的な問いはいい。戸惑わずにいられないのは、無自覚な問いが少なくないことだ。たとえば「ブログを書くことに何の意味があるのか?」という問いに一般的な意味で答えることはできない。「あなたにとって」という条件ならいくらでも適当に答えられるし、「社会にとって」というなら意味など求めていないと答える。或いは、「哲学的に」とかいう話なら意味なんてないと答えるしかない。ぼくが生きていること自体、意味なんてない。

この「意味」をやたら経済効率の文脈で問おうとする人がいる。これが結構、参る。いや、「効果を測るため」に経済の言葉を援用するのはいい。ある行為のコストとリターンを定義して、効果について考える。これは分かりやすい。ぼく自身、使うこともある。けれども、かなり限定的な効果についてしか語れない。万能とはほど遠い。それこそ「恋愛なんてする意味あるの?」なんて胡乱な問いに「恋愛はコストに比してリターンが少なすぎる」なんてこれまた胡乱な答えを出したりする。まあ、「経済効率のために生きる」という人がいても、ぼくは全然構わないのだけれど。

ところで、自分が「経済効率のために生きる」人間だからといって、他の人もそうだとは限らない。当たり前である。この当たり前は、もちろん、ぼくがそう思っているだけのことである。経済効率の悪い行為を批判したり憐れんだり馬鹿にしたりする人が出てくるのはそのせいだろう。まだ、経済的たろうとして逆効果になっている人を批判したり憐れんだり馬鹿にしたりするなら解る。けれども、別に非経済的でも非効率でも構わないと思っている人に、非経済的だよとか非効率だよとかいっても仕方ないだろう。あまつさえ、それを理由に無意味だなんて決めつけられても困る。

以前ぼくは、サヨクが無力に見えるといった趣旨の感想を書いたことがある。それはぼくが、サヨクとは「政治的存在である」のみならず「政治的たらんとする」存在だと誤解していたからだ。政治的たらんとしているにしては、あまりに政治的に非効率ではないか、と。そのとき、そもそもサヨクの言動は誰かの「ためにする」ものではないと教えられた。思想と政治は必ずしもセットではない。そちら方面に暗いぼくは、そんな「当たり前」を知らなかった。「ためになろうとしていない」人たちに「ためにならないから無意味だ」と呟いていたわけである。それこそ意味がない。

ぼくは、世界のためにも、社会のためにも、自分のためにもさして意味のないことをするだろう。それでいいと思ってもいる。もちろんぼくは、ぼくの倫理観に従って、世界のためにも、社会のためにも、自分のためにも害悪となることは極力しないでおこうと思っている。が、それすら自己満足の域を出る話ではない。そんなぼくに、「いまどき結婚なんかして何の意味があるの?」などといってその非効率を説いても無駄である。ぼくは人生を効率化するためにブログを書いているわけではないし、恋愛や結婚をするわけではないし、仕事をし、遊び、生きているわけではない。

いずれ、ライフハックが高じて人生自体をハックするようではつまらないと、ぼくは思う。

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comment - コメント

ペースが速いんでなかなか追いつけませんね。

で、本題。
行為の意味は、自己満足。それ以上はない。
また、自己満足、と言う言葉を非難の意味で使う人には、それはあなたの考えです、と答えればお終い。私はあなたの家来ではないんだから、答える義務も従う義務も無い、と付け加えれば完璧。いかがですか。俺の反論は打ち破れるかな。そういう単純な応対で、かなり楽になりますよ。

少し硬く言うなら、趣味、が正にそう。自己満足の代名詞。だから続くんですよね。
ただし、人には強制しないこと。これが、自己満足の絶対条件であり、モラルでもあります。そう思うと、なんてこともありませんよ。

> 多川さん
確かに、「自己満足」に否定的な色をこめる人は多いように思います。ぼくは「自己満足」肯定派というか、そもそも自分自身を満足させることはとても難しいと思っています。大抵の人は、常に、どんなことにも、どこか満足できずに生きてるものなんじゃないかな、と。だから、自分自分を満足させるために生き続けるのは当たり前だし、それ以外の生き方は考えられない。そのために何を重視するかは当然人それぞれなわけで、このエントリーの趣旨は、そこのところをみんなある程度は弁えて欲しいなぁといったあたりにあります。そうであれば、仰るとおり、外野の価値観の押し付けなんて気にしない、或いは、気にならないというのが筋の通った態度ではありますね。

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