30代を発狂せずに愉しむための2つの心がけ

30歳を超えても、困ったことに、大抵の人は発狂しない。

それは、まだまだ人生から降りられないことを意味する。そこの10代も20代もみんな、残念ながら素面で30代を迎える。何者でもない自分をひしひしと感じ、本当の自分なんてないことにも疾うに気づき、そもそも人の一生にさしたる意味なんてないんだと知って、それでも何となく正気で生きていく。そういうものだ。そもそも30代を恐れる若者たちは、そんなに充実した満足のいく10代や20代を送ってきたんだろうか。否。振り返ってみれば大したことのない人生だったはずである。30歳になって失くすような重大な幸福なんてひとつもない。ならば、これからを愉しく生きなきゃ損である。

-----

01:飽きたことに固執しない

人間30歳にもなれば、20代までにやった大抵のことに飽きてくる。あれほどワクワクしたゲームたちが色褪せて見え、テレビを視るのも2ちゃんねるに書き込むのも惰性でしかない。漫画を読んでももう3日3晩語れるような作品には出会えないし、アニメのDVD-BOXだって未開封のままいつまでも部屋の隅に転がっている。或いは、友だちといつでもケータイで繋がって、ファーストフードでダベって、恋人とくっついたり別れたりもして、人間関係の中にただ埋没して過ごしている。それ以外にやりたいことなんて思い付かないし、それが自分で選んだ生き方だからそう簡単にはやめられない。

本当にそうか。継続は力なんていうけれど、たぶん惰性は継続ではない。少なくとも、人生を楽しむ力にはならない。別に意味のないことをしてはいけないというのではない。人のやることにいちいち意味を問うなんてそれこそ無意味である。ただ、愉しくないことで自分を縛るんじゃもったいないと思うだけだ。ツマラナイことをやめればそこに時間と金ができる。30代はまだまだ知らないことが多い。知ったような気になっているならとんだ思い上がりである。今自分を縛っている縄より気持ち好い縄が見付からないとも限らない。そして、30代ならまだまだ体もそれなりにいうことをきく。

02:愉しいことは諦めずに続ける

なってみると30代は結構忙しい。仕事と人間関係にほとんどの時間を持っていかれる。好きでやってきたことが、今までのようにはできなくなってしまうかもしれない。毎日何度もブログを更新することはできないかもしれないし、イラストを描く時間がずいぶんと削られてしまうかもしれない。そして、毎日やってきたことが途切れがちになると何故かそれ自体をやめてしまう人が少なくない。もったいない話である。何も愉しいことをやめる必要はない。ペースを変えればいいだけの話である。ブログは2、3日に1回の更新でも続けられるし、イラストはひと月に1枚仕上げるのでも構わない。

もちろん、ペースが変われば、たとえば、属しているコミュニティ内での立ち位置が変わったり、場合によっては外れたりすることもあろう。けれども、それを理由にやめるには当たらない。趣味周辺の風景はコミットメントの仕方で変わるものだし、それは必ずしもマイナスではない。いずれ、ペースに合った趣味との付き合い方が見えてくる。Twitterを四六時中していないと落ち着かないという人は、それができる環境にいるからそう思うだけのことである。忙しくなったらやめなきゃらないということはない。実際、ぼくはたまにしか発言しないけれど、それはそれで案外に味わい深い。

-----

長々と書いたけれど、ひと言でいうなら「ツマランことはさっさとやめて愉しいことだけ続けろ」という話である。なんだ当たり前じゃないか。そう思ったなら実行すればいい。周りを見ても案外できていない人は多い。それで不満ばかりいっていたりする。何からやっていいか判らないなら、とりえあずゲームを全部売りに出すなり、ケータイのパケット定額制サービスを解約するなり、本屋でスイーツ(笑)情報を仕入れて食べ歩いてみるなり、デジタル一眼レフカメラを買っちゃうなり、とにかく今までやってこなかったことや、ツマラナイと決め付けていたことを試しにやってみればいい。

せっかくのまだまだ動ける30代、発狂なんてしている暇はない。


【関連して読んだページ】
30歳が近づいてくるとマジで発狂しそうになるよな・・・:アルファルファモザイク

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/573

comment - コメント

30代が近づくのが怖いというのは、10代、20代が充実していたからではなく、何もしていない内に30代がやってきてしまうところが怖いのだと思います。30代ともなれば忙しくなり時間の余裕もなくなり、体もついてこなくなる。10代、20代で本当は得られたかもしれない幸福は、もう2度と手に入ることはない。それを想像して発狂しそうになるのでは?
結局、書かれている通り、楽しいことを探して試し続けるしかないわけですが・・・

> かぼちゃさん
「本当は得られたかもしれない幸福」というのが味噌ですよね。実際にはそんなものどこにもないのに。そして、30歳になることが「幸福」から遠ざかることだと勝手に思い込む、と。気持ちは分からなくもないだけに、数年前に30歳を超えちゃった身としては「んなこたないよ」と、あまり離れ過ぎない位置からいってみたくなったわけです。ぼく自身は無駄に鬱屈してた20代の頃より、むしろ今の方が楽しいですし。もちろん、誰もがそういう道をたどるなんていうつもりはありませんが。

ええ話しですね~。30代で見つかった趣味があるので共感。

> やまけんさん
どもです。実のところ愉しいことが見付かるってのは「運」なんだと思います。ただ、心がけしだいで運に巡り合いやすくなる可能性はあるかもなあ…くらいの感覚で書いてみました。

若いうちに・・・充実できる何かを得られるように頑張ります・・・

趣味も見つけたいな。。。。

> iPhonerさん
個人的には、あまり頑張りすぎたり趣味がなきゃダメだと思い込んだりするのも危険だとは思います。だから、「心がけ」レベルでいいんじゃないかなぁ、と。ともあれ、愉しめる何かが見つかるといいですね。

40代になったばかりの者だけど、
同じことは結婚についても言えると思うな。
結婚すると…
「時間が自由にならなくなるから」
「お金が自由にならなくなるから」
「思うように遊べなくなるから」
とか、いろんな言い訳があるけど、過去の自分に
こだわっててもしょうがない。
結婚して子供が産まれても、まだまだいろいろ
面白いことはあるよ。
独身の時は想像できなかったけど、子育てだって
やってみれば楽しい。
要は、あまりこだわりをもたずに、自分の身の周りに
あるものを楽しめる感性だと思う。
否定的に見れば何だって否定的になってしまう。
だったら、肯定的に見なきゃ損だよ。

> Kohjiさん
ですよね。結婚も別に「しなければならない」ものではないと思いますが、する前から否定的に考えなければならないような類のものでも、たぶん、ない。というか、してみないと楽しいかどうかなんて分からないのに、楽しくないと決めつけるのはもったいないですね。良い意味での「こだわり」は捨てない方がいいと思いますが、根がやっかみだったり、依怙地だったり、ただの想像や誰かの受け売りだったりするようならさっさと捨てた方が楽しく生きられるかもしれません。Kohjiさんのように結婚も育児も楽しいよって人が周囲にたくさんいれば、後続の人たちも「それ、いいな」って思えるんでしょうけれど。今は、愉しそうに生きている大人が少ないのかもしれませんね。

コメントを投稿

エントリー検索