プロブロガーとディストリビューターの共通点

● 主観的、形式的には独立した事業主である

ディストリビューターは独立したビジネスパーソンである。某社と契約関係にはあるが決して社員ではない。およそセールスマンとして食えるレベルの技術はない。そのかわり、売り込むためなら嘘や誤謬をも恐れない。そんな前向きすぎるビジネス戦略によって、著しく信用を落としたり、哀れな目で見られたりすることもあるが、すべては自己責任である。某社にすればありがたい常連客である。

プロブロガーは独立したビジネスパーソンである。広告を扱ってはいるが広告会社の社員ではない。およそ文筆家として食えるレベルの文章は書けない。そのかわり、PV のためなら炎上をも恐れない。そんな前向きすぎるビジネス戦略によって、著しく信用を落としたり、哀れな目で見られたりすることもあるが、すべては自己責任である。プラットフォーマーにすればありがたい労働力である。

● 搾取される不幸から自由だと信じている

ディストリビューターは一片の保証もバックアップもなく、ときに詐欺のリスクまで冒しながら、とてもそれに見合う収入が得られていないことに疑問を抱かない。むしろやりがいを感じ、崇高な目標を持ち、意識の高いビジネスパーソンとして光り輝いている。そして、素晴らしい仲間らとともに、幸福のビジョナリーとして某社のシステム存続と利益のために貢献し続ける。

プロブロガーは一片の保証もバックアップもなく、コンテンツとして消費し尽くされるリスクを冒しながら、とてもそれに見合う収入を得られていないことに疑問を抱かない。むしろ自らを自由だと信じ、意識の高いビジネスパーソンとして光り輝いている。そして、神輿の担ぎ手らとともに、ネット社会のビジョナリーとしてプラットフォーマーの利益のために魂を削り続ける。

● いつ目が覚めるかわからない

ディストリビューターはその特異な価値観からいつ目覚めるかわからない。自ら信じる見込みの甘い未来のために何を犠牲にしているのか、その鈍感さのために気付かず、ぬるま湯のような世間を生きている。

プロブロガーはその特異な自意識からいつ目覚めるかわからない。自ら信じる自由な人生が、いかに不如意な前提の上に成り立っているか、その鈍感さのために気付かず、ぬるま湯のような世間を生きている。

● 孤立している

ディストリビューターは社会的に孤立している。同じ信仰を持つ者同士の生温かい交流はあるようだけれど、彼らのいう権利収入やネットワークビジネスをビジネスだと思っているのは当人だけだろうし、会社勤めを馬鹿にし、周囲の人たちを遠ざけるばかりの彼らの歪な幸福観は異質であるといわざるを得ない。

プロブロガーは社会的に孤立している。利用価値を認めた大人や大人嫌いの子どもらには人気のようだけれど、彼らの屋台骨である拙い文章や炎上芸をビジネスだと思っているのは当人だけだろうし、会社勤めを馬鹿にし、自己正当化と他者批判に塗れた彼らの歪な幸福観は異質であるといわざるを得ない。

● 現状に満足しない

ディストリビューターは現状に甘んじない。まずは DD、いずれはエメラルドにダイヤモンド。食っていけない DD ですら上位 0.1 %にも満たない世界と知ってか知らずか、会社をやめて自由になり、キラキラした目で高みを目指す。傍から見れば大半の時間をディストリビューター活動に費やす生活のどこが自由なのかと思うが、これは価値観の相違というものだろう。

プロブロガーは現状に甘んじない。ライフハックだ、イノベーションだと、最先端のイケてる情報を発信する。どんなライフハックやイノベーションを実現しているのか知らないけれど、会社をやめて自由になり、高等遊民の夢を見る。傍から見れば大半の時間をイケてる情報の収集と発信に費やす生活のどこが自由なのかと思うが、これは価値観の相違というものだろう。


さて、こんな愚にもつかないテンプレ記事を最後まで読んじゃうようなお人好しは、「プロブロガー」からは遠い存在だろう。きっと、彼らほどおっちょこちょいではないに違いない。けれども、ぼくたちの世界の大半は、彼らのいうビジネスと同程度には取るに足りないものごとで成り立っている。会社から金をもらって飯を食うのも、Google から金をもらって飯を食うのも、これからの時代を生き抜くうえでさしたる違いはないだろう。会社がなくなろうが、Google の気が変わろうが、とりあえず飢え死にしたり自死したりしないですむ程度には、柔軟性のある社会であって欲しいとは思うけれど。

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[ 元テンプレ ] 社畜と家畜の共通点

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