はてブを集めても気がすまないということについて思うこと

ブログを、誰にために、何のために書くのか。ひと口には答え難い問いである。

はてブを100集めないと気がすまないということについて思うこと - shi3zのzeptopad開発日記

もちろん、一義的には「自分のために」「自分の満足のために」書くのである。そして、どうなれば満足かは人による。書くだけで満足という執筆ジャンキーもいれば、多くのシンパシーを得られれば満足という共感ジャンキーもいるだろう。「人の役に立ちたい」とか「議論をしたい」とか「多くの人と繋がりたい」とか「ストレスを発散したい」とか「精神の安定を得たい」とか、とにかくブログを書く理由は多岐に亘るだろうし、ひとりにひとつだけとも限らない。逆にいえば、多岐に亘る欲望の受け皿になり得るからこそ、これだけ大量のブログが世に乱立しているのだろう。

ただ、ブログは世間に向けて言葉を発するツールだ。多くの場合「自分の満足のために」は他者の視線が必要なんだろう。言葉は悪いけれど、誰だって「ウケたい」から書いているんだろう。ただ、求める「ウケ方」が違うだけで。リンク先では「はてブウケ」が問題にされている。そこでウケる情報は底が浅いのだという。この辺りはそのままshi3z氏個人の価値観であり、「shi3z氏の満足ために」は、はてブは有効でないという表明になっている。毒のあるいい方をすれば、はてブのコアユーザーはshi3z氏にとって、言葉を向ける他者としてツマラナイ存在だということだろう。

氏のいう「本当にためになる」情報というのは、あくまでも「shi3z氏にとって」や「shi3z氏に見えている世間にとって」有益であるように見えるということでしかない。つまり、あそこに書かれているのは、決して大局的なものの見方ではない。むしろ、相当に尖鋭的で視野の狭いものの見方だろう。それを悪いといっているのではない。クレバーな人にはクレバーな人にしか分からない満足や有用性がある。ただ、それだけのことである。「これはえがい」というタグの記事は、みんなで楽しく暇をつぶすのに有用だったかもしれない。暇つぶしの有用性をぼくは高く評価する。

「面接の攻略法」が既にうまくやっている会社社長にとって有用性が低いのは当然だ。ただし、それは「面接の攻略法」の世間的な有用性が低いことを意味しない。一方に「世界に1人か2人しか理解できない、とても深くて高度な情報」があり、他方に「就活をしている大学生にしか興味のない情報」があるとして、ぼくにはどちらがより有用な情報かを決めることはできない。自分には前者のようなブログは書けないし、読者としてもそれを理解できる世界の1人だとか2人だとかには、決してなれないだろう。つまり、ぼくにとってはどちらも等しく有用性の低い情報でしかない。

結局人は自ら立つ地平に共に立つ相手にしか、届ける言葉を持ち得ないのかもしれない。

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