ブログで幸せになれない5つの動機

1.とにかくオレの話を聞いてくれ

誰も聞いてくれない。いや、オレの話がとてもタイムリーだったり、とてもエンターテイメントだったり、とても実用的だったりすれば聞いてもらえる可能性は高い。けれども、素のオレの話がそこまで面白い可能性はそう高くない。いい換えれば、面白いエントリーを量産できるほど面白いオレじゃないと続けるのは難しい。続けるために面白くしようと思うと、オレの話というよりはみんなが聞きたい話になってしまう。オレの話を聞かせたくて始めたブログが、必死で読者に媚びるブログになったりする。当初の欲求は満たされず、本末が転倒する。疲労困憊する。

2.侃々諤々の活発な議論を期待する

議論というのは、ある程度の前提を共有することで成り立つものだ。前提を共有しない集団の議論は論点を持ち得ない。だから、議論は収束に向うどころか拡散の一途を辿る。およそ無関係と思えるような議論の飛躍こそが醍醐味ではないかとさえ思える。ブログは思考の拡散を愉しむ場であって、収束を望むべき場ではない。また、ネットワークの向こう側には想像以上に多種多様な人間がいる。文意が原型を留めないくらい歪んで解釈されたり、まったく理解されなかったりする。たとえば、書いてもいないことで手酷く非難されるなんてことがいくらでも起こり得る。

3.プライベートな日記帳代わり

特に他人に読まれることを望まないのであれば、公開しない形で書いた方がいい。ブログシステムを使うにしても、プライベートモードや非公開モードがあるものを使うべきだろう。何しろ、ブログを公開することは自分の情報を人目に晒すことだ。安易に考えてはいけない。リスクは決して小さくない。たとえば、個人的な思想やら愚痴やらちょっとした他人批判やらが不用意に誰かを傷付けたり、誰かの逆鱗に触れたり、痛烈な批判に晒されたりしたとき、それらに対する覚悟や耐性がないのは結構辛い。また、内容によっては個人を類推、特定される可能性もある。

4.リアルとは別の自分になりたい

なれない。ブログも所詮リアルの一断面にすぎない。特に、コンプレックスの裏返しみたいなキャラクターを作るのは、まったくもってお勧めできない。やればやるほどそうではないリアルの自分が意識されるからだ。これではコンプレックスを克服するどころか、かえって悪化させ兼ねない。コンプレックスはこじらせるとまずロクなことにならない。芸術やら何やらに昇華できる人は稀だろう。まあ、遊びでネカマをやるくらいならさしたる問題はないけれど、愉しいのは最初の内だけだろうし、継続を旨とするブログでやる意味はない。出会い系か何かでやればいい。

5.アフィリエイトのために頑張る

コンビニでバイトでもした方が楽だから止めた方がいい。なにしろ月5,000円稼げたら奇跡くらいに思っていてちょうどいいくらいだ。それくらい稼げない。まず、それなりの記事を書こうと思うと、構想から公開まで大抵3時間くらいはかかると思う。時給800円換算でも1エントリー2,400円分の労力だ。1日1エントリーをひと月続ければ72,000円分の労働になる。運良く5,000円くらい稼いでもまったく割に合わない。ちなみに、巷に溢れるアフィリエイト関連本はまず参考にならない。そのほとんどが、相当の時間や労力や能力や運を要求するような内容になっている。

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これだけ書いておきながら、ぼくのブログにはこれら5つの要素がそこそこに紛れ込んでいる。ただし、どれもそれを主要な動機としていない。だから、叶えられれば嬉しいだろうけれど、叶えられなかったからといってモチベーションが下がるということもない。それほど長くブログをやっているわけではないけれど、今のところはまず第一に書くことが面白い。書くために色々なことを考えたり、情報収集したりするのも楽しい。ブログをやっていなければ、そう真剣に考えなかっただろうこともたくさん考えた。もちろん誰かに読んでもらえることは張り合いになる。

ブログはまず書くこと自体を目的にできないなら続けるのは難しいかも知れない。


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