ブログ主がわざわざマイルールを表明する理由

無責任の謗りを免れないと知りつつ書く。

コメント・トラックバックは「原則として削除」というルールを掲げます [絵文録ことのは]2008/06/22

こういうルールの類は、ただ管理者が管理効率を上げるためだけに宣言すべきものだと思う。基本をいえば、ルールの明記なんてしなくても管理者は自分のブログを好きに管理して構わない。気に入らないコメントを恣意的に削除しようが、長文コメントを内容如何に関わらず削除しようが勝手にすればいい。そういう態度に対する非難さえ、自分の管理範囲内でなされたものについては軒並みシャットアウトすればいい。ブログ主だけが管理権限を持つ個人ブログで、読者と何ら契約関係にないのであれば、こうした運用方針であっても特に問題があるとは思えない。

考えるべきは、自分が何故ブログを書き、公開しているか、である。たとえばエイス・マンを育て賞賛の声だけを浴びていたい…そういう動機でブログを始める自由を他人が奪うことはできない。憂鬱な毎日の鬱憤を晴らし、ただただ同情されたいなんて人もいるかもしれない。ある種の狭い価値観で運用されるブログでは、どうしてもノイズ許容度が下がる。それを非難するのも自由かもしれないけれど、管理者がそういう運用を貫くのも自由であることを忘れてはいけないと思う。逆に、多くの人に読まれることを目的とするなら、当然それなりの配慮が必要になる。

つまり、この手のルール表明やその真意の説明は、(ポジショントークだとかいう側面はおくとして)読み手との軋轢を最小限に抑えつつ運用コストを下げるための戦略だといえる。本当なら、自分ルールを何の利害関係もない匿名の読者に表明しその遂行を約束する義務などないのである。けれども、あからさまなオレ流運用は読者離れを呼ぶ可能性がある。多くの読者を得たいと思うなら、極力客の機嫌を損ねないよう努力するのは当たり前だ。ただ、粘着コメンテーターの相手を延々しているブログ主など見ると、何をそんなに頑張ってるんだと感心してしまう。

一方で、ブログ主が忘れてならないのは、管理できるのは自分のブログの表示だけ、という事実である。そもそも読んだ人間の感想をコントロールすることなんてできないのは自明だろう。つまり、自分がいくらブログのコメントやトラックバックを管理しても、誰かが自分の意に沿わない評価を下し、それをどこかで表明するのを止めることはできない。場合によっては、2ちゃんねるで晒されたり、はてなブックマークで叩かれたりする。その可能性に無自覚なままブログを運用することは、後々酷いダメージを受けることになりかねない。その程度の覚悟は必要である。

自由には常にリスクがついてまわる。ルールの表明はリスク管理の一環なのである。

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同感です。私はブログを持っていませんが。

いかなるサイトにも言えることですが、サイトというのは民主主義のコミュニティではなく、絶対王政の御意見箱設置国家なんですよね。
ですから、管理人は好きに何をしても良い。
その代り、評価もそれ相応でしかない。

wwwは単なる公共の場所、ですからね。
…まあ、マナーというものも守ってはいただきたいと思っていますけれど。

> tamanegiさん
「絶対王政の御意見箱設置国家」というのはいい得て妙ですね。その伝でいけばブログ主は「暴れん坊将軍」、コメント欄は「目安箱」といったところでしょうか。…いえ、ちょっと違いますね。
マナーの話になるとこれがまた結構ややこしい。個々人のマナー感覚の乖離はほとんど想像を絶しています。このブログは読者数がそれほどでもないので酷いコメントやトラックバックに悩まされたりはしませんが、大手ブログの管理者なんかは大変だろうなあと思います。

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