不幸な効率教徒に愉しい非効率教の教義を説く

もっと効率的な毎日を過ごしたい。

そう思っている人は、たぶん少なくないと思う。効率的にお金を増やしたいとか、効率的に仕事を片付けたいとか、効率的に家事をこなしたいとか、まあ、具体的には色々あるだろう。確かに、効率的というのは聞こえがいい。デキル奴だ。そんな印象もある。けれども、本当にそうか、とぼくは思ってしまう。何故なら、毎日が効率化したいことに溢れているということは、毎日やりたくないことばかりやっているということだからだ。やりたくはないけれど、結果だけは欲しい。だから効率的に結果を得ようとする。味気ない話だ。結果の悦びなんて酷く刹那的なものでしかない。

たとえば、効率的にブログを書いて効率的にアクセスを稼ぎたいという人にブログは向かない。というより、仕事でもない限りそんな人はブログを書く意味がない。自己顕示欲のためだけにそんなことをしても、たぶん、続かない。効率的に済ませたいということは、できればやりたくないということなのだから当然だ。誰にも強制されず必要にも迫られないなら、やりたくないことを続けられる人は少ない。非効率でもいいからやりたい、そう思えることで自己顕示欲は満たすべきだ。愉しいことなら効率的に済ませたいはずはない。射精さえできればいいならセックスは要らない。

効率に魅入られてしまった人は、一度立ち止まって考えてみた方がいい。効率化したいものをすべて効率化してしまったとき、自分の手元に残るものは何か。溢れんばかりの退屈と飢餓感ばかりということはないか。必要なのは本当に効率なのか。自分に足りないものは、本当は「魅力的な非効率」ではないのか。旅の醍醐味はその道程のすべてにある。いかにも陳腐な喩えだけれど、それゆえに有効だ。スタンプラリーのように効率的に名所を巡りたい。そういう人に旅は向かない。もちろん例外はある。たとえば、効率化のためならどんな非効率も厭わない、そんな非効率はある。

好きなことだけをして生きることは難しい。だから、効率化のすべてを否定するつもりはない。けれども、効率化したいことだらけというのはちょっとイタダケナイ。そんなに厭なことばかりの人生が愉しいはずはないからだ。幸せはいつだって非効率と共にある。無駄、といい換えてもいい。効率的に「暇」を作っても愉しむべき無駄がないなら虚しいだけだ。効率とは大いなる無駄のためにこそ奉仕すべきなんだと、ぼくは思う。別に誰にいわれたわけでも強制されたわけでもないのについやってしまう。面白いとはそういうことだ。愉しむというのは無駄で非効率なものである。

仕事も余暇も人生も、非効率を厭わず無駄を愉しめるかどうかが鍵なんだろうと思う。

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