恋愛のきっかけにグダグダとこだわる不毛

「特定の誰かが好き」ではなく「彼女が欲しい」と思うことはそんなに深刻なことか?

彼女がいる人に質問です。 彼女が欲しいです。 彼女が欲しいが、作れない人が 足りないことは何でしょうか。 具体的、現実的に詳しくお願いします。 その回答を参考にすれ.. - 人力検索はてな
「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは? - シロクマの屑籠(汎適所属)

そんなもの今も昔も普通に決まっている。若者が持て余すものといえば、性欲に承認欲求と相場は決まっている。彼女が欲しいというのは、単にそれら二大欲求をまとめて満たしたいというだけのことだ。眠いときに寝たいと思うくらい自然な話である。しかも、この場合の承認は彼女からのみならず、世間からの承認まで期待できる。独りでモンモンとしている人間にとって、二人称の承認と三人称の承認の同時獲得は、最大の心の健康ともいうべき一人称の承認、つまり自己肯定の契機ともなり得る。これは極めて魅力的である。ただし、承認のありようは文化圏によって異なる。

たとえば、p_shirokuma氏のメイン観測域らしい非モテ文化圏辺りでは、すでに「彼女がいること」の三人称的承認は薄れつつあるのかもしれない。いわゆる「恋愛至上主義」への反発を経て、離脱に向かっているように見えなくもない。「彼女がいること」が意味を持たない文化圏に足場を置き続けるなら、たとえ彼女を作ってみたところで周囲の承認は得られない。つまり、「彼女が欲しい」というのは、「彼女がいること」が意味を持つ文化圏へコミットする意思を意味してもいる。ぼくはこれを悪いことだとは思わない。恋愛は別に特定の目的ですべきと決まったものではない。

「セックスがしたい」も「カワイイ娘(イケメン)と連れだって街を闊歩したい」も「甘い同棲生活を味わいたい」も「将来を共にしたいと思う相手を見つけたい」も「恋人がいるというステータスを得たい」も「超好みの異性が現れたから自分だけのものにしたい」も「あの人を守ってあげたい」も「自他の承認欲求を満たして幸せな気持ちになりたい」も恋愛の目的として間違っているとは思わない。そして、目的がどれかひとつだけである必要もない。むしろ色んな気持が渾然となっている方が普通だと思う。また、その時々の気分や志向によって重視するエレメントは変わる。

いずれにしても、「○○ちゃんが好き」というのはその対象が具体化されているだけで、別に「彼女が欲しい」よりも上等な感情なわけではない。もちろん、具体的な分、行動に移しやすいという側面はある。ただし、まともに付き合う前から本当に好きなんていうのは100%錯覚の類だから、それを恋愛の必須条件と考える必要はない。告られてとりあえず付き合う内に好きになるなんてのも珍しい話ではない。むしろ、よく知りもしない相手に、我を忘れて奇行に走るくらい熱狂的に惚れる方がどうかしている。ロマンティックラブへの狂信は必ずしも幸せな恋愛に繋がらない。

今の若者はちゃんと特定の誰かに惚れてないんじゃないかとp_shirokuma氏はいうけれど、ラジオなんかを聴いていると相変わらず「好きな人に告白したいんですが、何かアドバイスください」的な相談はポピュラーなものだし、冷めた目で見れば一時的な情熱にしか見えない惚れた腫れたがぼくの周囲でも十分に横行している。彼ら彼女らはちゃんと情熱的だし盲目的な恋をしている。けれども、当然のようにそれが幸福な結末を迎える率はそう高くない。「まず好きになれ」も「とりあえず彼女」も実のところその後の可能性やリスクは変わらない。生息する文化圏が違うだけだ。

結局、始まりの切っ掛けなんてその後の長い長い付き合いの前には極些細な要素にすぎない。


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彼女が欲しい、っておかしい事なんですか - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
#非モテの言動を肯定する理論と否定する理論が逆転しているという指摘が興味深い。
2008-09-08 - 九尾のネコ鞭
#口は悪いけれどひとつの処方箋として効く人にはたぶん効く。

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