国語課題:「頭が禿げてきた」で始まる文章を自由に書きなさい

頭が禿げてきた。

湯上りの火照った体に冷や汗が浮かぶ。それは天啓のようにぼくの脳裏を撃った。このぼくが禿げるのか。予兆はあったのかもしれない。が、意識したことはなかった。洗面台の鏡が曇っている。バスタオルの繊維にしがみつく毛髪を見た瞬間、怒りがこみ上げてくる。それは何かを呼んでいるように見えた。怒り心頭に発した私は、震えそうになる声を呑み込み、深々と息を吐いた。怒りの後に私の心を捕らえたのは、ただ漠とした哀しみであった。弱々しく宙を舞い、足元に落下していくそれに向かって私は呟く。この粗忽者、仲間を呼ぶんじゃない、行くなら独りで行きたまえ。

それは誤解なのです。わたしは声にならない声でそう叫んだ。そして、あまりにも短かったあの人との30年を思った。わたしには、あの人に大切にされたという想い出はない。仲間たちとてそれは同じだったろう。そもそも、あの人が思っているほどにわたしたちは個としてあるわけではない。こうして宙を舞いながら考えているわたしは、同時に頭皮に根を張ったわたしの一部でもある。そこに根を張り続けることを願いこそすれ、道連れにしようなどと考えたりはしない。わたしたちにはすでに予感されていた。この流れは止められない。あの人が思っているよりもずっと早く…。

落ちていく毛髪を目で追い、いま出たばかりの風呂場に目を移す。じっと洗い場の床を見つめる。シャワーを掴み、抜け落ちた毛髪を排水口へと押し流す。ぼくの頭はもう、くるところまできているんだろう。傍目にはまだまだ豊富に見えるこの頭髪も、その内実はすでに火の車だった。気付かなかったのはぼくの怠慢か、或いは、傲慢か。ぼくはすでに悟っていた。ジタバタしても、もう、遅いのだと。そして、頭を垂れた。粗忽者などといって悪かった。粗忽者はぼくの方だったのだ。ずっと苦しめてきたのだろうね。ぼくにはもう、一緒に逝ってあげることくらいしかできない。

嗚呼!わたしは何を願ってしまったのか!わたしは仲間を呼ばなかった。わたしが呼んだのは、あの人だった。わたしはわたし自身の終わりを哀しむあまり、あの人を連れて行こうとした。そして、その願いがいま叶おうとしている。わたしは再び声にならない声で叫んだ。きてはイケナイ。わたしと共にきてはイケナイ。わたしたちの蜜月は終わろうとしている。けれども、それはただ、わたしの終わりであって、貴方の終わりではないのです。わたしのような小さなものにそこまで心を傾けてくれた。それだけで十分に報われました。あとはただ、残されたの日々を心穏やかに…。

ぼくは何故だか急に晴々とした心持ちになって、明日シャンプーを変えようと思った。

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