暴走する兄、ギリギリな妹

人の死で始まる物語なんて、ぼくは大嫌いだ。

ナルシスティックな死の物語。思春期の漫画家志望が描く公募原稿じゃないんだから。まったく、クソだ。それにしても、いったいぼくは何に悪態をついてるんだろう。と、体中に痛みを感じて目を覚ます。酷く気分が悪い。肌がガサガサする。不快に身を捩りながら体を起こすと、こびりついていたシーツがバリバリと剥がれていく。赤黒いシミを見て、腑に落ちる。ああ、ぼくはぼくの人生に悪態をついていたのだ。包帯だらけの自分を見て苦笑する。いったい、どれだけ自分を切り刻んだんだろう。昨日のことはあまり記憶にない。ケータイの時計を見る。もう午を過ぎている。

隣室からテレビの声が聞こえる。インターネットで薬を買って死ぬのが流行らしい。母がいるということは、今日は店が休みなんだろう。いい歳をして働きもしない息子によくも愛想を尽かさないものだと思う。父の稼ぎで三食昼寝付きを満喫するべきは母であってぼくではない。母は週5日パートに出てぼくの食費を稼いでくる。どこまでも温いこの家は居心地の好い地獄だ。ぼくはそこから逃げ出そうとして失敗したらしい。襖をあけ、テレビと母の間を割って冷蔵庫に向かう。珍しく、声がかからない。引き籠って以来、初めてのことではないか。よほどショックだったんだろう。

おかしいと気付いたのは妹が学校から帰ったときだった。そして、それは父が帰って決定的になった。誰もがぼくの存在を無視している。いや、まるでいないもののように振る舞っている。昔流行った映画を思い出す。自分が死んでいることに気付かない主人公。どうやらぼくは死ぬことに成功したらしい。生き地獄から解放されて本当の地獄に落ちたのか。それにしては、この現実はあまりに現実的すぎる。冷蔵庫は開けられるし牛乳も飲める。牛乳は確かに減っているし、きっと母や妹にも触れられるだろう。ただ、誰もそれに気が付かないだけだ。無になるとはこういうことか。

ぼくは妹の部屋に入り込んだ。死んでもぼくは最低のシスコンだ。現実の妹には萌えられないなんて嘘だ。ブスな妹しか持てなかったやつの妄言だ。十近くも歳の離れたぼくの妹は、十分以上に妄想に耐える。最近新しくなった高校の制服だって素晴らしい。もう着替えてしまったのは残念だけれど、部屋着の短パン姿だってすこぶる魅力的だ。この適度に丸みを帯びた腰からすらりと美しい曲線を描く太腿に、目を奪われない男なんているものか。小さな耳にねじ込まれたイヤフォンからは流行のJ-POPがスカスカと漏れている。もう1時間以上も音楽を聴きながらケータイに夢中だ。

ケータイを覗き込みながらゴロリと仰向けになる。ギシリとベッドがきしみ、ぼくはごくりと唾を飲む。それでなくても控え目なふくらみがいっそう平らになる。じろじろと、ひたすらじろじろと、一切の遠慮も躊躇いもなく妹を見つめていられる。死んで良かった。こんなことならもっと早く死んでいればよかったとさえ思う。そう、ぼくは死んでいる。だけど、あれに触れることだってできる。あの部屋着のジッパーを下ろすことだって。妹が寝転んだまま組んでいた足をほどく。太腿の付け根から、わずかに覗いた隙間に下着の影はない。ぼくはびくびくとベッドににじり寄る。

イヤフォンから漏れる音がやんでいる。ケータイに夢中でそれどころじゃないらしい。高速で動いていた指がボタンを離れ、妹は何かを考え込むように目を閉じた。ぼくはベッドの端にそっと手をかける。瞬間、エアコンのサーモスタットが作動する。スプリングの軋む音が派手に響く。ぼくはビクリと動きを止め、いや、ぼくはここにはいないのだと胸を撫で下ろす。ベッドサイドの時計が今日の終わりを告げようとしている。妹の顔を覗き込む。胸元のジッパーに手をかける。死とはかくも甘美なものだったのか。午前零時。妹がぼくを見ていう。はい、エイプリルフール終わり。

人の性で終わる物語なんて、ぼくは大嫌いだ。

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