ストリートビューの問題はGoogleの問題ではない

この件については、みんな難しく考えすぎなんじゃないかと思う。

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そもそもこれはGoogleの問題ではなく、受け入れ側の社会の問題だろう。ぼくは“ストリートビュー”が齎したプライバシー問題というのは、単純に情報到達コストの問題だと思っている。そもそもGoogleというはこの情報到達コストを極小化することでイノベーションを起こしてきた会社だろう。Googleが情報を生み出してきたわけではない。それまでも頑張れば手に入った情報がすこぶる簡単に手に入ようになった。それが凄いのである。今回の“ストリートビュー”が新たに提供し始めた情報とて、「コストさえかければ」これまでだって入手可能だったものである。

毎日電車で見かける名前も住所も知らない美少女の家を“ストリートビュー”で見つけることはできない。狙った相手のしどけない姿や夜の営みを覗き見できるわけでもない。以前ならコストをかけてまでやらなかったことを、わざわざやる人が出てくるということはあろう。求職者の住まいの様子を“ストリートビュー”で確認する面接官。同僚たちの住居地を“ストリートビュー”で確認して回る会社員。告ってきた男のマンションのグレードを予め“ストリートビュー”で確認する女。ただ、気持ち悪いのは行為であって“ストリートビュー”そのものではない。

コストがかからない。その重要性についてはいまさらいうまでもないと思う。情報収集をインターネットに依存している人ほど身に沁みているはずだ。たとえば、高校生カップルのキスシーンをネットで晒そうと思えば、本来、相当なコストを支払わなければならない。カメラ片手に高校生カップルの出没しそうな場所に張り込み、場合によっては尾行し、決定的瞬間を捉えるまで粘り、シャッターを押す。苦労して盗撮した写真をどこかのサーバーにアップして公開する。なんという労力とリスクだろう。そんなコストを支払ってまでやろうという人はたぶん少ない。

要するに、コストがかからないから、立ち小便するオッサンの画像や信号待ちでイチャつくカップルの画像が晒されるのである。こういう野次馬的な晒し行為に走る人たちは、これまで倫理的に悪いと思ってやらなかったわけではない。単にコストが合わないからやらなかっただけのことである。たとえ“ストリートビュー”を批判するような内容であっても、晒される側の心情を本当に慮っての行為なら、Googleに削除依頼をした上で批判記事は書いても画像やURIを晒すようなマネはしないだろう。つまり“ストリートビュー”が彼らの倫理観を損なったわけではない。

人間の行動は倫理ばかりでなくコストによっても縛られる。法律というのも愚行に対するコストを上げるための仕組みだろう。それは、コストを下げると愚行に走る人間が増える、という事実の裏返しでもある。倫理観にはあまりにも個人差がありすぎる。多くの人の間で共有することは難しい。つまり、行動規範を倫理のみに頼っていては社会は立ち行かない。多くの人の倫理観を刺激するような技術革新が為されるとき、新たな法律が求められるのはそのためだろう。そして、法律にはその社会の総意として多数派、或いは、声の大きい人たちの倫理観が採用される。

情報到達コストは今後も低下の一途を辿るはずだ。問題は社会がそれをどう受け入れるか、だ。


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comment - コメント

 汚物に関する話を思いつき、かつ発信できる感覚の著者なら、この問題は大したことではないのだろうが。

> 右中間さん
エントリー中にも書きましたが、「大したこと」と感じるかどうかはとことん個人の資質に拠るんだと思います。なので、ぼくたちの社会が総意として今回の事態をどう受け止めるかによって何かが法的に規制されたり、あるいは放置されたりするんでしょうね。だから、色んな人が色んなところで自分の「感覚」を表明することは一定の意味があるのかもしれません。

情報到達コストを下げることについては無条件で肯定しても良いと思いますか?技術的に可能であっても規制されていたり自粛しているものは幾らでもあると思うのですが。

> zxcvさん
個人的には程度の問題だろうと思います。一例として、ストリートビューの画像が一切の制限なくリアルタイム映像として配信されるような事態を想定すると、それが技術的に可能であっても規制あるいは自粛すべきだと思います。それはパブリックスペースにおけるある個人の行動を事実上誰もが監視できることを意味しますし、そうなっては技術革新による利便性よりも危険性の方が遥かに上回るだろうと予測されるからです。社会における利益と不利益のバランスはその社会のありようによって異なるでしょう。技術の進歩自体には肯定も否定も善も悪もないとぼくは思いますが、それをいかに行使すべきかは社会の構成員が考えて決めるべきだと思います。不利益が大きいと判断されるものについては法的に規制するよりないでしょうね。それは原爆がたとえ技術的に作れても作らないというのと同じことです。

 ストリートビューの問題として、「住宅街が想定している以上の高さからの視点」が大きな問題でしょう。視点の高さで視界は大きく変わりますからね。本論とは関係ありませんが、かなり重要なファクタです。

 個人的には、心斎橋筋や道頓堀の写真がないことが問題です。車が走れない以上、仕方がないのですが。それでも住宅街を映すなら、この二本の道は映像化するべきでしょうね。大阪に住む者の意見でした。

> 棚旗織さん
確かに、ジャイアント馬場より高い視点というのは、「気持ち悪さ」を助長している一要因かもしれません。そんな日本人はそうそういないわけで、普通に歩いていても見えない位置の庭の様子なんかが結構見えたりすることもあるんでしょうね。
ぼくは大阪在住ではありませんが大阪市内勤務なので同僚たちと会社近辺のストリートビューで盛り上がっていたのですが、色々見ていると市内でさえ案外まだまだ抜けがありますね。とはいえ、商店街を生身の人間が全方位カメラのシャッターを切りながら歩くというのもどうかと思いますし。商店街なんて開店時間帯は人通りが凄くて徒歩で撮影なんてしようものなら大変なことになりそうですし、かといって閉店時間帯のシャッター通りを撮影してこれが心斎橋筋のストリートビューですとかいわれても違う気がしますし…。難しいところですね。

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