なんとなくコミュニケートするtwitter

twitter

今更のようにtwitterを始めてみた。

インターネット好きな人に何故か人気の、実になげやりなサービスである。何をするといって、‘What are you doing ?’の質問の下にあるテキストエリアに何か書き込んで送信するだけである。「カップラーメン食べてます」とか「メッセで痴話喧嘩中…めんどい」とか何を書いても構わない。まあ、これだけだとホントにただの独り言である。

アクションとしてはこれだけなんだけれども、ポイントは他人の独り言も見ることができる点だろう。たとえば「Public timeline」のページを見ると、色んな人の呟きがどんどん流れてくる。気になる言葉を見つけたら、その人のアイコンをクリックしてみる。すると、その人個人の独り言のページをみることができるというわけだ。

そのプロフィールやら発言やらを見て、心に引っかかるものがあれば、Addというリンクをクリックしてやる。すると、自分のページにその人がFriendsとして登録される。以降は、自分のページにその人の独り言も表示されるようになる。ただし、これは一方的なものだ。友達を作るというよりは、他人の独り言を収集するような感覚に近い。

もちろん、誰が自分をAddしているのかは、ちゃんと分かるようになっている。だから、お互いに気に入れば相互に登録し合うことも可能だ。こうなると、インスタントメッセンジャーやチャットに近い感じになる。ただし、あくまで個人的な会話という性質は持たない。送信された独り言は常に公共の場に垂れ流されている。

ただ、明示的にあなたに対して発言してますよ、という意思表示をすることはできる。つまり、公共の場ではあるけれども、名指しの発言ができるのである。こうして、なんとなく独り言を呟いたり、人の呟きを眺めたり、ツッコミを入れたりしながら、実に緩いコミュニケーションを愉しむ。これはそういうサービスなのである。

mixiやweblogのような積極性はほとんど求められない。そこが今の時代にウケたんじゃないかと思う。SNSで気疲れしてしまったり、ブログの更新がプレッシャーになったりという人は案外に少なくないらしい。また、それはそれとして続けつつ、息抜きの場所も欲しいというニーズもあるだろう。気負わずに済むというのはそれだけで価値がある。

まあ、実際にはダイレクトに個人宛のメッセージを送る方法があったり、知り合い同士寄り集まってまさにチャット状態になっていたりと、使い方は人それぞれである。招待制度も非公開制度もある。ただ、mixiにはmixiの流儀や空気があるように、twitterにはtwitterの空気がある。コミュニケーション文化のありようが違うといってもいい。

それはFriendsにAddする際の気軽さに端的に表れている。

mixiなんかだと、いきなりのマイミクはダメだとか、継続的にコメントやメッセージのやりとりがないマイミクは削除しますとか、コメントをつけたら返事しないのは失礼だとか、足跡つけたらひと言残すのが礼儀だとか、そういうことを公言する人が結構いたりする。日々の負担になるほど緊密な繋がりを要求されることが少なくない。

それに比べてtwitterに流れる空気は緩い。たまたま気にかかった人を気紛れにAddする。それが許される。初めて名指し発言するときも特に挨拶やら何やらは必要ない。偶然目についた「カップめんのびた」という発言に、「そうなったらご飯にかけてラーメン丼だ」なんてツッコミを入れることに躊躇いは要らない。たとえ初めての相手でも、だ。

要は独り言に独り言でツッコんだだけのことだからだ。

正直、最初はなんて胡乱なサービスだと思った。けれども、これが始めてみると案外に悪くない。常にブラウザを開いてなくても、GoogleTalkをはじめとしたインスタントメッセンジャーで送受信できたりもするようだ。APIが公開されているらしく、色々探してみると専用クライアントなんかも配布されている。いわゆる2.0的な展開だ。

ほとんど偶然性だけでつながるコミュニケーションツール。

ゆるーい気持ちでしばらく様子を見てみようと思う。

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