ワードサラダがスパムでなくなる日

コンピューター生成による“ワードサラダ”と呼ばれるスパムがある。

形態素解析や構文解析は文法を解する。が、文意を解さない。それで、文法的に正しく文意の通らない文章ができあがる。統合失調症にみられる言語障害が言葉のサラダ(Word salad)と通称されるのに倣って、機械仕掛けの支離滅裂な文章をワードサラダと呼ぶらしい。これがスパム分野で大活躍し、一躍、悪名を馳せた。SEO的に有効な「それらしい」文章をコンピューターで自動生成でき、しかも、その「文意の通らなさ」をコンピューターは判断できない。判断できることと作れることが対である以上、これはどうにもならない。結果、検索結果から追い出すことができない。

逆にいえば、検索エンジンが“ワードサラダ”をスパム判定できるようになるということは、コンピューターが“ワードサラダ”ではない文意の通った文章を自動生成できるようになるということでもあるんだろう。そのときスパマーと呼ばれるアフィリエイト業者は、ウェブの大海からキーワードに連なる情報を根こそぎ掻き集め、「文意の通った」文章をコンピューター生成してみせるに違いない。そうやって公開されたアフィリエイトブログは、やはり検索結果から追い出すことはできない。そもそも「書く」頭脳と「読む」頭脳が同じなのだから、この関係はたぶん覆らない。

ところで、関連性の強い情報をつなぎ合わせ、文意の通る新しい文章に仕立てるようなことは、案外、人力でもやっていたりする。それも、極めて「有用な」行為として。もちろん、コンピューターが文法と文意の「正誤だけ」しか判断できないなら、内容自体の「価値」を高めることは難しいかもしれない。それでも、たとえば「どれだけ読まれ、言及されているか」といった指標を用いて「有用性の高そうな」情報ソースをマッシュアップしアフィリエイトブログに仕立てるなら、それはすでにスパムとは呼べないように思う。人力にさしたるアドバンテージはないのではないか。

ワードサラダがスパムでなくなるとき、人は情報の発信者として「文法」と「文意」と「情報収集力」以外の武器を持たなければ、ほとんどその意味を失ってしまうかもしれない。つまり、「まだない情報」を生み出すなり、「文法の正しさ」や「文意の無謬性」のみに憑拠しない「表現力」を発揮するなりしないことには、発信する価値の大部分を失いかねない。それはたとえば、計算機の発達よって「算盤名人」の価値が、或いは、ウェブの発達によって「歩く百科事典」の価値が地に落ちてしまったように。そうして、クリエイティビティ不在の文章は機械に取って代わられる。

そのとき、果たして自分は「まだそこにない価値」を少しでも付加し得るだろうか…?

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