セックスとは○○のようなものだ…でうまいこという試み

はじめてセックスした日。

セックスとはお酒のようなものだ。

お酒を初めて飲んだときから美味しく感じられる人は少ない。自分にどんなお酒が合うのか、どういう飲み方が合うのか、最初から分かるはずなんてない。ただ体が慣れていないだけということもある。最初は誰だって手探りだ。だから、初めてのお酒が楽しく飲めなかったからといって、お酒なんてつまらないと決め付けるのはもったいない。初めてのお酒でお酒を知った気になる。まあ、若いうちにはよくある勘違いだけれど、まだまだ何かに結論を出す時期じゃない。大人の階段は、ゆっくり、少しずつ昇ればいい。人生は短いけれど、そう急いで見切りをつける必要はない。

お酒は嗜む内に自分の好みが見えてくる。ビールで一気にスカッとする。ワインの芳醇な香りと深い味わいを愉しむ。焼酎を舐めるようにちびちびと味わう…。特定の好みを持つ人もいれば、幅広く楽しめる人もいる。純粋に味を楽しむ人、雰囲気を楽しむ人、酒席のコミュニケーションを楽しむ人、お酒の余韻を楽しむ人、酔った勢いで少しだけ羽目を外してみる人…お酒の楽しみ方も人それぞれだ。快楽に正解なんてない。人に迷惑をかけすぎるのは良くないけれど、良識の範囲内で好きに楽しめばいい。もちろん、お酒が楽しいからといって、人生の最終目的なわけではない。

ただ、嗜むうちに好きになる人もいれば、やっぱりお酒の良さなんて分からないという人もいる。体質的に合わない人もいるだろうし、好みを見付けるまでの探究心が湧かないという人もいるだろう。そういう人は、別に無理をして飲む必要はない。繰り返すけれど、お酒だけが人生の楽しみなわけじゃない。他に自分に合った楽しみを見つければいい。それがスポーツだろうがゲームだろうがアニメだろうが仕事だろうが構わない。けれども、ゲームの楽しみもお酒の楽しみも味わえるなら、ゲームの楽しみしか味わえないよりは楽しく生きられる可能性が高いかもしれない。

だから、自分に合わなかったからといってお酒なんてくだらないと吹聴するのはできれば止めた方がいい。今の自分を記録したいだけなら、手元の日記帳にでも書いておけば良い。将来、お酒の良さが分かったとき、あの頃のおれは若かったなぁと振り返るのも好い酒の肴である。やっぱり好きになれなかったなら、オレ、あの頃から変わらないなぁ、と感慨に耽るのも悪くない。今の自分を記録することは将来に愉しみを残すことだ。ただ、お酒を楽しむ人すべてを理性のない動物のようにいうのは感心しない。お酒の楽しみを知る人の哀れみや反感を買うのが目的じゃないのなら。

ちなみに、こんな喩えをしておきながら、ぼくはお酒がとても弱い。

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セックスとはクジラ肉のようなものだ。

クジラ肉を初めて食べたときから美味しく感じられる人は少ない。自分にどんなクジラ肉が合うのか、どういう食べ方が合うのか、最初から分かるはずなんてない。ただ舌が慣れていないだけということもある。最初は誰だって手探りだ。だから、初めてのクジラ肉が美味しく食べれなかったからといって、クジラ肉なんてまずいと決め付けるのはもったいない。初めてのクジラ肉でクジラ肉を知った気になる。まあ、若いうちにはよくある勘違いだけれど、まだまだ何かに結論を出す時期じゃない。大人の階段は、ゆっくり、少しずつ昇ればいい。人生は短いけれど、そう急いで見切りをつける必要はない。

クジラ肉は嗜む内に自分の好みが見えてくる。ステーキで一気に満腹する。竜田揚げの芳醇な香りと深い味わいを愉しむ。刺身を噛み締めるようにちびちびと味わう…。特定の好みを持つ人もいれば、幅広く楽しめる人もいる。純粋に味を楽しむ人、雰囲気を楽しむ人、会食のコミュニケーションを楽しむ人、クジラ肉の余韻を楽しむ人、食べた勢いで少しだけ羽目を外してみる人…クジラ肉の楽しみ方も人それぞれだ。快楽に正解なんてない。人に迷惑をかけすぎるのは良くないけれど、良識の範囲内で好きに楽しめばいい。もちろん、クジラ肉が美味しいからといって、人生の最終目的なわけではない。

ただ、嗜むうちに好きになる人もいれば、やっぱりクジラ肉の良さなんて分からないという人もいる。体質的に合わない人もいるだろうし、好みを見付けるまでの探究心が湧かないという人もいるだろう。そういう人は、別に無理をして食べる必要はない。繰り返すけれど、クジラ肉だけが人生の楽しみなわけじゃない。他に自分に合った楽しみを見つければいい。それがスポーツだろうがゲームだろうがアニメだろうが仕事だろうが構わない。けれども、ゲームの楽しみもクジラ肉の楽しみも味わえるなら、ゲームの楽しみしか味わえないよりは楽しく生きられる可能性が高いかもしれない。

だから、自分に合わなかったからといってクジラ肉なんてくだらないと吹聴するのはできれば止めた方がいい。今の自分を記録したいだけなら、手元の日記帳にでも書いておけば良い。将来、クジラ肉の良さが分かったとき、あの頃のおれは若かったなぁと振り返るのも好い酒の肴である。やっぱり好きになれなかったなら、オレ、あの頃から変わらないなぁ、と感慨に耽るのも悪くない。今の自分を記録することは将来に愉しみを残すことだ。ただ、クジラ肉を楽しむ人すべてを理性のない動物のようにいうのは感心しない。クジラ肉の楽しみを知る人の哀れみや反感を買うのが目的じゃないのなら。

ちなみに、こんな喩えをしておきながら、ぼくはクジラ肉を学校給食でしか食べたことがない。

セックスとはタバコのようなものだ。

タバコを初めて吸ったときから美味しく感じられる人は少ない。自分にどんなタバコが合うのか、どういう吸い方が合うのか、最初から分かるはずなんてない。ただ体が慣れていないだけということもある。最初は誰だって手探りだ。だから、初めてのタバコが楽しく飲めなかったからといって、タバコなんてつまらないと決め付けるのはもったいない。初めてのタバコでタバコを知った気になる。まあ、若いうちにはよくある勘違いだけれど、まだまだ何かに結論を出す時期じゃない。大人の階段は、ゆっくり、少しずつ昇ればいい。人生は短いけれど、そう急いで見切りをつける必要はない。

タバコは嗜む内に自分の好みが見えてくる。紙巻で一気にスカッとする。葉巻の芳醇な香りと深い味わいを愉しむ。パイプを舐めるようにちびちびと味わう…。特定の好みを持つ人もいれば、幅広く楽しめる人もいる。純粋に味を楽しむ人、雰囲気を楽しむ人、喫煙所のコミュニケーションを楽しむ人、タバコの余韻を楽しむ人、吸った勢いで少しだけ羽目を外してみる人…タバコの楽しみ方も人それぞれだ。快楽に正解なんてない。人に迷惑をかけすぎるのは良くないけれど、良識の範囲内で好きに楽しめばいい。もちろん、タバコが楽しいからといって、人生の最終目的なわけではない。

ただ、嗜むうちに好きになる人もいれば、やっぱりタバコの良さなんて分からないという人もいる。体質的に合わない人もいるだろうし、好みを見付けるまでの探究心が湧かないという人もいるだろう。そういう人は、別に無理をして吸う必要はない。繰り返すけれど、タバコだけが人生の楽しみなわけじゃない。他に自分に合った楽しみを見つければいい。それがスポーツだろうがゲームだろうがアニメだろうが仕事だろうが構わない。けれども、ゲームの楽しみもタバコの楽しみも味わえるなら、ゲームの楽しみしか味わえないよりは楽しく生きられる可能性が高いかもしれない。

だから、自分に合わなかったからといってタバコなんてくだらないと吹聴するのはできれば止めた方がいい。今の自分を記録したいだけなら、手元の日記帳にでも書いておけば良い。将来、タバコの良さが分かったとき、あの頃のおれは若かったなぁと振り返るのも好い酒の肴である。やっぱり好きになれなかったなら、オレ、あの頃から変わらないなぁ、と感慨に耽るのも悪くない。今の自分を記録することは将来に愉しみを残すことだ。ただ、タバコを楽しむ人すべてを理性のない動物のようにいうのは感心しない。タバコの楽しみを知る人の哀れみや反感を買うのが目的じゃないのなら。

ちなみに、こんな喩えをしておきながら、ぼくはタバコの煙にとても弱い。

> ねこだいすきさん
わはは。まあ、この手の言葉遊びはテンプレ化してしまうと何とでもいえるって実例ですね。クジラ肉を食べた勢いとかタバコを吸った勢いで羽目を外すってのは、なんか笑えますが。誰か、ぼくが書いた粗末なテンプレの再利用じゃなくて、もっと気の効いた「○○のようなものだ」を書いてくれないかなぁ…。

セックスとは大麻のようなものだ。

大麻を初めて吸ったときから美味しく感じられる人は少ない。自分にどんな大麻が合うのか、どういう吸い方が合うのか、最初から分かるはずなんてない。ただ体が慣れていないだけということもある。最初は誰だって手探りだ。だから、初めての大麻が楽しく吸えなかったからといって、大麻なんてつまらないと決め付けるのはもったいない。初めての大麻で大麻を知った気になる。まあ、若いうちにはよくある勘違いだけれど、まだまだ何かに結論を出す時期じゃない。大人の階段は、ゆっくり、少しずつ昇ればいい。人生は短いけれど、そう急いで見切りをつける必要はない。

大麻は嗜む内に自分の好みが見えてくる。ジョイントで一気にスカッとする。バッズの芳醇な香りと深い味わいを愉しむ。シンセミアを舐めるようにちびちびと味わう…。特定の好みを持つ人もいれば、幅広く楽しめる人もいる。純粋にTHCを楽しむ人、雰囲気を楽しむ人、回し吸いのコミュニケーションを楽しむ人、大麻の余韻を楽しむ人、酔った勢いで少しだけ羽目を外してみる人…大麻の楽しみ方も人それぞれだ。快楽に正解なんてない。人に迷惑をかけすぎるのは良くないけれど、良識の範囲内で好きに楽しめばいい。もちろん、大麻が楽しいからといって、人生の最終目的なわけではない。

ただ、嗜むうちに好きになる人もいれば、やっぱり大麻の良さなんて分からないという人もいる。体質的に合わない人もいるだろうし、好みを見付けるまでの探究心が湧かないという人もいるだろう。そういう人は、別に無理をして飲む必要はない。繰り返すけれど、大麻だけが人生の楽しみなわけじゃない。他に自分に合った楽しみを見つければいい。それがスポーツだろうがゲームだろうがアニメだろうが仕事だろうが構わない。けれども、ゲームの楽しみも大麻の楽しみも味わえるなら、ゲームの楽しみしか味わえないよりは楽しく生きられる可能性が高いかもしれない。

だから、自分に合わなかったからといって大麻なんてくだらないと吹聴するのはできれば止めた方がいい。今の自分を記録したいだけなら、手元の日記帳にでも書いておけば良い。将来、大麻の良さが分かったとき、あの頃のおれは若かったなぁと振り返るのも好い酒の肴である。やっぱり好きになれなかったなら、オレ、あの頃から変わらないなぁ、と感慨に耽るのも悪くない。今の自分を記録することは将来に愉しみを残すことだ。ただ、大麻を楽しむ人すべてを理性のない動物のようにいうのは感心しない。大麻の楽しみを知る人の哀れみや反感を買うのが目的じゃないのなら。

ちなみに、こんな喩えをしておきながら、ぼくは大麻を吸ったことがない。

セックスとはコカインのようなものだ。

コカインを初めてキメた時から気持ちよく感じられる人は少ない。自分にどんなコカインが合うのか、どういう飲み方が合うのか、最初から分かるはずなんてない。ただ体が慣れていないだけということもある。最初は誰だって手探りだ。だから、初めてのコカインが楽しくキマらなかったからといって、コカインなんてつまらないと決め付けるのはもったいない。初めてのコカインでコカインを知った気になる。まあ、若いうちにはよくある勘違いだけれど、まだまだ何かに結論を出す時期じゃない。大人の階段は、ゆっくり、少しずつ昇ればいい。人生は短いけれど、そう急いで見切りをつける必要はない。

コカインは嗜む内に自分の好みが見えてくる。クラックで一気にスカッとする。静脈注射の急峻な酔いと深い酔いを愉しむ。鼻から吸ってちびちびと味わう…。特定の好みを持つ人もいれば、幅広く楽しめる人もいる。純粋にトリップを楽しむ人、雰囲気を楽しむ人、裏のコミュニケーションを楽しむ人、コカインの開放感を楽しむ人、酔った勢いで少しだけ羽目を外してみる人…コカインの楽しみ方も人それぞれだ。快楽に正解なんてない。人に迷惑をかけすぎるのは良くないけれど、良識の範囲内で好きに楽しめばいい。もちろん、コカインが楽しいからといって、人生の最終目的なわけではない。

ただ、嗜むうちに好きになる人もいれば、やっぱりコカインの良さなんて分からないという人もいる。体質的に合わない人もいるだろうし、好みを見付けるまでの探究心が湧かないという人もいるだろう。そういう人は、別に無理をしてやる必要はない。繰り返すけれど、コカインだけが人生の楽しみなわけじゃない。他に自分に合った楽しみを見つければいい。それがスポーツだろうがゲームだろうがアニメだろうが仕事だろうが構わない。けれども、ゲームの楽しみもコカインの楽しみも味わえるなら、ゲームの楽しみしか味わえないよりは楽しく生きられる可能性が高いかもしれない。

だから、自分に合わなかったからといってコカインなんてくだらないと吹聴するのはできれば止めた方がいい。今の自分を記録したいだけなら、手元の日記帳にでも書いておけば良い。将来、コカインの良さが分かったとき、あの頃のおれは若かったなぁと振り返るのも好い酒の肴である。やっぱり好きになれなかったなら、オレ、あの頃から変わらないなぁ、と感慨に耽るのも悪くない。今の自分を記録することは将来に愉しみを残すことだ。ただ、コカインを楽しむ人すべてを理性のない動物のようにいうのは感心しない。コカインの楽しみを知る人の哀れみや反感を買うのが目的じゃないのなら。

ちなみに、こんな喩えをしておきながら、ぼくはコカイン、ダメ、ゼッタイ。

セックスを酒に喩えるのはどうだろうなぁ…。
酒は買えば誰でも(年齢という縛りはあるにせよ)飲めるけど、セックスはそれにたどり着くまでの道のりってものがあるからなぁ。
え?セックスも買えるって?それはごもっともですが…。

> eさん
仰るような手に入れやすさという観点や、生殖という観点などなど、この喩えに含まれない観点はたぶん、まだまだたくさんありますね。一番安直な喩えとしてお酒を採用してみたというのが正直なところで、セックスを網羅的に語るようなものには全然なっていません。そもそも、この文章のでき自体よろしくないですね。自分で書いておいてなんですが、ウィットもぜんぜん足りないですし…。
「お酒を自分で醸造して飲む人、コンビニで手軽に手に入れて飲む人」…とかいう喩え話を捻り出すのは比較的簡単ですが、面白い喩えかといわれればスミマセンというよりありません。タイトルは完全に誇大広告でした。

改変ネタだけだとなんか荒しみたい…ちとマジメなコメントも。

私が思うに、セックスとオナニーで快楽強度を比べちゃってる点が増田のダメさだと思うんですヨ。

性的快楽で「純粋に肉体だけで感じる快楽」は意外と大したことがないんですね。男女ともにアンドロゲン阻害剤や抗うつ薬を服用して脳ミソいじっちゃうと性欲なくなるし、そういう状態だとオナニーすらぜんぜん気持ちよくない。そもそも人間は交尾の仕方を学習しないと交尾できないというとても不自然な動物で、性欲がもはや本能なんかじゃなくなってる。ではナニに快楽を感じてるかというと、「セックスする状況」なわけですね。だからこそ、人によってそのセックスする状況が「同性と~」であったり「鞭で叩かれ~」であったり「二次元美少女で~」など有り得てしまうわけでして。そういう意味では、人間とは本能で交尾できるサル未満の存在だ、とも言えます。

で、増田は異性と性関係を持ったことに肉体的快楽以上のものを感じなかったらしい、状況に興奮しつつ欲望が満たされる心的充足感を感じなかったらしい、心理的快楽がむちゃ弱かったらしい、と。それは増田の出来上がってしまったサガであって、増田は将来ずっと自身のセックス行為に今以上の快楽を感じることはないだろうなあ、とも予測できちゃうわけです。ヘテロセクシュアルな人の性志向をホモセクシャルに変えることができないように (and vice versa)。本人もまだ気付いていない性的志向が顕在化する可能性はありますがね。

長々と書きましたが、私が例えるなら「ソリティアとポーカーを比べるのと同じくらいに無意味」や「一人飯と団欒の食事を比べると同じくらいに無意味」といった感じでしょうか。それぞれ良さはあるけどその方向性は違うだろ、と。

> ねこだいすきさん
いえいえ、荒し認定はしてませんので、ご心配なく。してたら速攻消してます。その辺オレオレなブログですので。
人間の性に関して本能が壊れてる云々の話は岸田秀『性的唯幻論序説』辺りが参考文献としてはコンパクトにまとまっていてわかりやすいですね。まあ、有名な『ものぐさ精神分析』のダイジェストみたいなものでアレですが。
仰るような「セックスとオナニーを比べるなんて○○と●●を比べるようなものだ」的なパターンも、色んな比喩が考えられそうですね。ねこだいすきさんの例は「孤vs多」の方向ですが、別方向でパっと思い付くのは、ベタなところで「ラーメンとカップラーメン」とか、流行ものでいくなら「ケータイとiPhone」とか…。この場合は似て非なるものを並べるのが常道でしょうか。

私はどちらかというと、相手の反応が楽しいのですけど。

岸田秀の無茶を読むよりは、デズモンド・モリスを念頭にリチャード・ドーキンスを読む方がいいと思いますね。

まるで大時代な「女の告白手記」ですね。
“愛のない初体験のせいで男性に嫌悪ばかりを感じるようになってしまいました…”
みたいな。

敢えてわたしも昭和のオッサンになって“男にしてもろうた感謝はないんかい!”と言いたい。
“お○こは、感謝の心やで!”

> 棚旗織さん
相手の反応を楽しむ。確かにそういう部分もあるでしょうね。逆に、相手のそういう気持ちに乗っかって自分は理性を捨ててみる楽しみというのもありそうです。いずれにしても一方的な交渉はつまらないですからね。そういう場合の気のきいた比喩…「セックスとは料理のようなものだ。どんな味を引き出すかは料理人にかかっている。ちょっとした工夫で想像通りの美味なることもあれば、ちょっとした冒険がとんでもない結果を招くこともある。」…とかでしょうか。イマイチですかね。
デズモンド・モリスにリチャード・ドーキンスですか。デズモンド・モリスはいくつかの著作は思い浮かびますが、1冊も読んでませんね。有名どころを読んでみようと思います。やっぱり『裸のサル』あたりが基本でしょうか?ドーキンスはご多分に漏れず『利己的~』だけ読みましたね。一般科学書なのに文系チックな思考ゲームだなぁと思った記憶があります。

> nbさん
冒頭に挙げたリンク先のあれについては、正直、ネタにするよりないなぁという印象でしたね。特に批判する必要もないというか、微笑ましいというか。どうもぼくは、ああいう若気の至りで書いちゃった恥ずかしい文章というようなものが嫌いじゃないんですね。それで、こんなお気楽なお遊びエントリーを投げかけてみたわけです。それも無駄にオヤジぶって。彼はもっと若い内に美人で手練の人妻にでも筆おろしされていたらずっと幸せになれたでしょうね。それこそ“感謝の心”だって持てたかもしれません。…まあ、そんな簡単じゃねぇよ、と本人はいうでしょうけれど。

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