ブックマークコメントに精神汚染されないための5つの心構え

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なんだかんだいったところで、はてブには付和雷同的な「流行」を助長する性格が抜き難くある。たとえ発火元のコメントが誤読や曲解や牽強付会に基づいたものであっても、罵倒の集中砲火が止まらないなんてことはままある。悪意の喧伝が比較的カジュアルに可能だというのは、確かに危険な面があるだろう。だから、風評被害みたいな実害まで想定するなら、それなりに有効な改変だろうとは思う。一方で、発信者が「コメントを見てしまう」ことで被る精神的ダメージに対してはまったく無力な改変だなあとも思う。そこで、その辺りのショックを和らげるための心構えで一席。

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01:そもそも自分のエントリーは完璧ではない

まさに見出し通りの話で、どんなに緻密な理論もどんなに画期的な思い付きも、大抵は自分が「完璧だ」と思うほどに完璧ではない。絶対に瑕はある。絶対に、だ。まず、そのことを肝に銘じておかなきゃいけない。また、類似する心理として「反論してくるやつは解っていない」という決め付けがある。これも自分の主張を愛するが故の思い上がりである。その主題について自分より優れた知見を持つ人間はごまんといる。ここを履き違えると異論がすべて敵になってしまう。こんなことは普段なら当然だと思っているはずだ。が、異論に遭うとつい忘れてしまいがちだったりする。


02:想定される反論や批判を公開前に思い描く

完璧すぎて瑕疵などあり得ない。そこまで信じ込んでいるなら、もう何もいうことはない。が、大抵は自分で書いたものに自分で反論することはそう難しいことではない。立場を変えてみるだけで簡単に反論できたりする。或いは、あえて書かなかったことについても突っ込まれるだろうことは覚悟しておいた方がいい。読み手はその「あえて」を斟酌してはくれない。たとえば、メインの主張とは関係の薄い枝葉を省く。想定されるケースのうち自覚的にある一部についてだけを述べる。「例外もある」という予防線を展開しない。どれも「瑕」と受け取られる可能性が極めて高い。


03:想定外の意見を心待ちにする

想定内の反論や批判については、02で解決している。きちんと想定できていれば「やっぱりきたか」くらいのものだろう。が、世間は広く自分は無知である。想定外の異見を持った人は必ずいるだろう。そういう人たちの知見は、自分一人ではなかなか得られないものだ。インターネットで何かを発信していなければ、生涯得ることのできなかったものかもしれない。それは愉しみにしていいものだと、ぼくは思う。或いは、自分に足りない知識を指摘されたり、思慮の甘さを思い知らされることは(その覚悟さえしておけば)まったく悪いことではない。むしろ歓迎すべきだと思う。


04:誤読や曲解による反論や批判は自分への反論でも批判でもない

誤読や曲解はある程度避けられない。どんなに推敲して慎重、平明に書いても伝わらないことはある。その上で、批判や反論をしてくる人も出てくるだろう。けれども、それは自分の意見が反論されているわけも批判されているわけでもない。相手は、どこにも書かれていない「幻の主張」に異議を唱えているのである。であれば、書き手にできることは何もない。まあ、誤読を指摘する手はあるかもしれないけれど、したところで「それは誤読か否か」という争いに終始する可能性が高い。まず、不毛だ。誤読を減らすための表現について反省でもしている方がよほど有意義だろう。


05:ガップリヨツの異見は自分のものにして次のステップへ

斜め上にも裏側にもいかず真正面から異論が述べられ、且つ、なるほどそういう観点もあり得るのかと思える。自分が大抵のウェブ上の文章に対してそうであるように、大抵の人が他人の文章など適当に読み流していく中、そんな風にがっちり自分の主張と噛み合った異見を残していく人は稀だろう。けれども、そういう反応が得られたなら素直に喜ぶべきだ。それは、自分の主張がちゃんと読まれた証拠であり、その上で投げかけられた未知の知見である。そんなときに伝家の宝刀「スルー力」など発揮するのはもったいない。ありがたく戴き、咀嚼し、自らの血肉とすべきである。

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以上、最近なんとなく考えていたことをまとめてみた。最後に、蛇足を少々。脊髄反射を信条に、売り言葉に買い言葉で泥の投げ合いをするのも、別に悪いことではないと思う。それを娯楽として愉しむ。それもひとつのスタンスだろう。けれども、残されたコメントに無闇にむかっ腹を立てて自ら気分を害したり、せっかく始めたブログをやめたくなったり、精神的に落ち込んで色々と厭になったりするようなら、ちょっと何かを主張する前に一呼吸おいてみるのは無駄じゃないと思う。ここに書いたことを心に留めておくだけでも、多少は心がささくれる機会が減るかもしれない。

まあ、これらが適応できるケースというのも、やっぱり限られてはいるわけだけれども。

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