はてなブックマークはコミュニケーションではない

リアクションとコミュニケーションを混同してはいけない。

一部のブックマーカーが理解できない

互いに理解を求め合う。それはコミュニケーションが担う役割だろう。つまり、リンク先の匿名氏はブックマーカーとコミュニケーションしているつもりだったのに果たせなかった。そういうことになる。これは当然だろう。ブックマークはコミュニケーションではない。そこが簡易コミュニケーションの場に見えるのは、おそらくそう思い込まされているからだ。はてなブックマークが提供しているのは、いわば「リアクションの可視化」サービスである。コミュニケーションを騙るのはマーケティング的に有効だからにすぎない。それは多くのWebサービスに共通した戦略でもある。

ブックマークが可視化したものは、テレビに向かって突っ込む視聴者の声みたいなものである。それを番組制作者や出演者とのコミュニケーションだといい張る人は少ないと思う。そうした声をどこかに集めてみんなに見えるようにした。それがはてなブックマークのしたことである。決して、番組制作者や出演者とのコミュニケーションの場を作ったわけではない。もちろん、そうした視聴者の声は、制作者や出演者に影響を与えるかもしれない。が、そんなものはコミュニケーションとは呼べない。まあ、呼ぶのは自由だけれど、ずいぶんと一方的なコミュニケーションである。

コミュニケーションというのは、そもそも理解し合えない他者同士がどうにか相互理解を図ろうとする絶望的な行為である。その絶望的な行為を通じて、極めて限定的に、或いは、思い込みの下に互いを了解し合う。テレビに突っ込むようなコミュニケーションでは、そんな限定的な相互理解すら得ることは困難だろう。そこには、自分しかいないのだから当然だ。もちろん、ただのリアクションもコミュニケーションたり得る。ただしそれはコミュニケーションの極々小さな一手段としてあり得るだけで、リアクションのみで成り立つコミュニケーションに豊穣を求めることは難しい。

これは要するに心構えの問題である。テレビに出ている麻生太郎に向かって「死ねばいいのに」と呪詛を浴びせることと、実際に麻生太郎に向かって不満を訴え話し合うことが同じコミュニケーションであるはずがない。前者が悪で後者が善だとかいっているのではない。これらはまったく別の行為だといっているのである。当然、呪詛もあっていい。ブックマークコメントやタグも同じである。それらはただのリアクションにすぎない。コミュニケーションを意図したリアクションかどうかさえ分からない。ネガコメやネガタグはテレビに向かって呟く呪詛みたいなものである。

その意味で「死ねばいいのに」はギャグだという説明にもさしたる意味はない。

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