梅田望夫氏「バカ」発言の本当の問題点

どうも、これは「はてな」レベルの問題なのか、という疑念が消えない。

Twitter / Mochio Umeda: はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコ ...
梅田望夫さんの発言があまりにも問題な気がした : ロケスタ社長日記
日本語が亡びる前に、はてブが「バカ」によって亡びるかもしれません - 煩悩是道場

身も蓋もないいい方をすれば、梅田氏の発言は「何を今さら」である。はてブにあり得る叡智と愚昧の比は、ユーザー数の増加と共にウェブ全体のそれに近似していく。そして、誰にとってもごく一部の「有意義な情報」と「大量のゴミ情報」というのがウェブのありようであり、可能性なのではなかったか。誰にとって何が「有意義」かは誰にも分からない。その前提において、淘汰されない垂れ流しの情報群は意味を持ち得た。つまり、ある特定の「賢明な」視点から見るなら、ウェブに「バカ」が溢れていることは、もう当たり前すぎるほど当たり前の話だったはずなのである。

もちろん、今回の個別的な現象だけを素直に解釈するなら、梅田氏は梅田氏の求めるレベルから見て、自らのエントリーについたコメントのレベルの低さに辟易したというだけの話である。つまり、目の前に可視化された「バカ」をつい「バカ」といってしまったわけである。ありふれた話だ。ただ、それは前段の流れに沿って考えるなら「ウェブにはバカが多すぎる」という実に古典的な愚痴をいってしまったに等しい。そのこと自体は「悪」ではない。不愉快だから「バカ」を排除しろといったわけではないから、サービス提供側の人間として最後の一線を越えたとも思わない。

ただ、これはたとえ「取締役を離れて」も梅田氏が口にすべき言葉ではなかったと思う。何故なら、多くの人が「ウェブなんていっても使えるものはごく一部だけで、ほとんどはゴミだよね」と思っている中で、たとえば「あらゆる人がアウトプット可能な素晴らしい世界」というような、ほとんど楽観的ともいうべきポジティブなウェブ理解を牽引してきた、それが梅田氏の発言者としての一面の価値だったと思うからだ。衆愚論を内包した上で、「それでも素晴らしいウェブ」というビジョンを見せてくれる。その意味で彼はエヴァンジェリストであり、時にアジテーターでもあった。

それが、この程度の「可視化されたバカ」に落胆してみせる。しかもそれは、ウェブに溢れる「バカ」の総量や質からいえば、まったく氷山の一角ともいえない程度の「バカ」である。そのくらいは余裕で織り込み済みじゃなかったのか。もしかして、その程度のバカすら可視化されていない「小ぎれいでエスタブリッシュメントなウェブ」だけを見て、これまであんな理想論を掲げてきたのか。それは、これまで梅田氏が称揚してきた「ウェブの可能性」の、骨格を揺るがしかねない疑念である。先頭に立って振り続けてきた旗に落ちた消えない染みとなってしまうかもしれない。

まあ、ぼくが梅田氏のスタンスを勝手に誤解している「バカ」である可能性は多分にあるけれど。

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