似非LifeHack講座

思い通りの休日を過ごす秘訣が判った。

まず、休みの日の行動を3つに分ける。「1.やりたいこと」、「2.やるべきこと」、「3.なんとなくいつもやってしまうこと」。そうしたら、とにかく「なんとなく」の芽を摘むことだ。一番いいのは、物理的に不可能にしてしまうこと。次に効果的なのは、不可能ではないけれど、やるのが面倒な状態にしてしまうこと。「なんとなく」の筆頭は、ぼくの場合は何といってもテレビだった。週末になると、平日見られない番組の録画がだいたい4時間分くらいは溜まっている。これを見終えるだけで半日が終わってしまう計算だ。

しかも、録画を見終えても下手をするとその続きでリアルタイムの放送に見入ってしまう。こうなると泥沼である。その上、無駄に夜更かしまでするようなら立派なテレビジャンキーである。しかも、たいていの場合、それほど見たいと思って見ているわけでもない。録画している番組にしても、見逃したからといって何ということもないものばかりだ。それでも録ってしまうと見なきゃいけないような気持ちになる。眠い目をこすってまで見ていたりする。誰も強制などしていないのに、不思議なものである。

我が家の「スゴ録」が1年と1ヶ月ほどの寿命を終えてお亡くなりになった。9万近くしたはずだから、週割りにすると1,500円近い出費である。4時間程度の録画で1,500円とはずいぶん割高な買物になってしまったけれど、この上有償で修理に出すのも馬鹿馬鹿しい。ちなみに、ソニーのお客様相談窓口は正直イマイチだと思う。ともあれ、ぼくの場合テレビのチューナーがとうに壊れているため、「スゴ録」がダメになると録画だけでなくテレビ放送も見られなくなってしまう。意図せず脱テレビ環境が整ってしまったわけだ。

テレビのない休日。これが思いのほか快適である。部屋の掃除をし、インターネットでニュースをチェックし、ブログのデザインを考え、音楽を聴き、本を読む。およそ、家にいてやりたいことをやりたいようにやっている。何より、1日が長い。元来ズボラなぼくは、なかなかやりたいことややるべきことに手がつかない。すると、たまに家にいても意味もなくテレビを見て過ごしていたりする。そして、1日の終わりに、ああ、今日もなんだか無為な休日を過ごしてしまったと、そこはかとない寂寥感に苛まれるのである。

やりたいことというのは、案外手間のかかることや努力を要することが多い。そうでなければやり甲斐も達成感も感じられないからだろう。つまり、やりたいことというのは楽しいから辛くは感じないけれども、普通に考えれば辛いことなのである。すると、ぼくのようにズボラな人間は、ついやりたいことよりも楽なことに流されてしまう。たいしてやりたいわけでもないのに「なんとなく」やってしまう。当然、満足度の低い休日にならざるを得ない。テレビとインターネットがこれに陥りやすい2大メディアである。

まずは、テレビを自分が過ごすメインとなる部屋から追い出してしまう。別の部屋にでも置いておけばいい。こうすると、わざわざ移動しないとテレビが見られなくなる。自然、本当に見たい番組以外は見なくなるはずだ。これだけでも、1日の使い方はずっと有意義になるんじゃないかと思う。無駄にネットに入り浸りがちだという人は、まず、ネット環境を自分の部屋から追い出してしまう。ないと不便だとか困るとか思っていることのほとんどは、案外どうということもないことだと気付くはずだ。

失くしてみて初めて、その大切さに気付く。よく聞く台詞である。けれども、敢えて書こう。失くしてみて初めて、その他愛なさに気付く。そういうこともあるのだ、と。毎週買ってしまう「週間少年ジャンプ」は本当に面白いのか?毎日コンビニで物色してしまうスイーツは本当に食べたいものなのか?1日に何度もチェックしてしまうmixiは本当に楽しいものなのか?次から次へとダウンロードしてしまう携帯ゲームは本当にやりたいことなのか?さあ、自らの「なんとなく」を見付けて一挙撲滅しようじゃないか。

これも、今流行のライフハックというやつか…否、違うかも。

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