すべては自覚から始まる…かもしれない

既に賞味期限切れの話題を枕にしてみる。

岡田斗司夫が自ら「レコーディングダイエット」と名付けた手法で年間50kgの減量に成功した。まあ、不思議な著作権の主張やなんかも含めて、散々話題になったものだからかなりの人が知っていると思う。端的にいえば自覚から始まる意識改革を主眼とした減量法で、食べたものはとにかくすべて逐一記録することでダイエットを実現する。自分はこんなにも無駄なものを食っていたのか。それに気付くことがすべてといってもいい。

ぼくはダイエットに興味はない。それでも、この方法がある種の人たちにはとても効果的だろうと推測することはできる。というのも、ぼくはこの方法で体重ではなくお金の無駄遣いを減らしてきたからだ。やっていることは実にシンプルで、エクセルで適当に自作した出納簿のようなものにその日使ったお金を記録する、それだけだ。飲食費にいくら、趣味にいくら、交通費にいくら…と集計するだけで無駄遣いはほとんどなくなった。

ある時期のぼくは、お金があればある分だけ使っていた。少ないとはいえ月の給料が一銭も預金に回らないというのはおかしい。欲しいものを買ってなくなるならいい。お金というのは欲しいものを買うためにあると思うからだ。けれども、その当時は自分でも何に使ったのか不思議に思うようなありさまだった。それで、記録してみることにした。記録を始めて判ったことは、やたらと飲食費が嵩んでいるという事実だった。

週末に出かけるとする。ネットで見つけた小洒落た店でランチを食し、休憩だといっては美味しいと評判の喫茶店に入る。夜は夜で居酒屋だのイタリアンだのと、酒の出る店のアラカルトで散財する。帰りにはまた軽く珈琲でもとカフェに落ち着く。こうなると1日の飲食費が1万円を超えることなんてざらだ。特に喫茶店やカフェでの散財は無意識に近かったように思う。なんとなく時間潰しに入っては余計な飲み食いをしていた。

読み捨ての情報誌やすぐに要らなくなるような食玩、勤務中につい買ってしまうペットボトル飲料やちょっとした菓子類も、本当に欲しくて買っていたのかといえば、答えは明らかにノーである。特に腹が減っていたわけでも、喉が渇いていたわけでもない。例えば残業の息抜きにコンビニに行くと、つい余計なものに手を出してしまう。そういうことの積み重ねが、無意識の出費となって予算を圧迫していたわけである。

その他にも細々とした余計な出費が、ただ記録して意識するだけでみるみるなくなっていった。日々の無駄を省くとことは、精神衛生上もスコブル快適である。岡田斗司夫がダイエットは楽しいというのもこれと同じような感覚だろう。欲しいものを我慢するのではない。本当に欲しいものかどうかを買う前に考える。すると、要らないものは買わなくなる。実にシンプルな話だ。これは何もダイエットやお金だけに限った話ではないだろう。

多くの問題はまず自覚することが肝要で、本当の意味で自覚さえすればその問題は半ば解決したようなものである。そのためには、まず現実を知るための正しい手段を講じなければならない。今の話でいうなら、それは「記録する」ことだ。そもそもこれができない、続けられないという人には、残念ながらこの種の手法は向かない。そして、記録したらその意味をちゃんと理解する。書いても何も感じないならそれは労力の無駄というものだ。

こうしてみると色々と応用の利きそうな話だと思うのだけれど、どうだろう?

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