連休中のエンタメ:維新派びわこ公演「呼吸機械」@長浜

夕景の琵琶湖
湖面に照り映える陽光が夕色に染まり始める頃、長浜に辿り着いた。

維新派の評判は幾度となく耳にしていたにも関わらず、実際に観たのは2006年『ナツノトビラ』が最初だった。強烈な光の演出で描き出されるモノクロームの世界は静謐でいて鮮烈だった。ただ、野外の魅力を吹聴されていたぼくは、どこかで納得し切ってはいなかった。2007年『nostalgia 《彼》と旅をする20世紀三部作 #1』。再び屋内。パースペクティブは舞台奥に映像として用意されていた。それは屋内でしかなし得ない演出ではあったけれど、あれが本物の風景だったならと想像せずにはいられなかった。かくして、ますます野外への思慕は募る。そして、2008年、野外公演。

湖北の寒さを少し甘く見ていたかもしれない。ゆるゆると黒壁スクエアからながはま御坊表参道を抜け、予約したホテルまで歩いて30分弱。秀吉ゆかりの地として観光地化されている長浜駅周辺を過ぎれば、コンビニもあまり見当たらないような鄙びた土地である。夜寝るだけだからと予約したビジネスホテルでチェックインを済ませる。チケットと財布以外の荷物を出し備え付けの日本茶で一息つくと、すぐにホテルを後にする。たった10分やそこらで既に空の色が変わっている。濃さを増した群青にちらほらと星が見える。風も冷たさを増している。この空と風も舞台になるのだ。

長浜からひと駅、田村という駅を降りる頃にはすっかり陽も落ち切っている。電車が意想外に少なく、余裕を見ていたはずの時間がギリギリになっている。維新派名物の屋台で腹ごしらえのつもりが叶わず。空腹のまま砂浜に組み上げられた客席へ向かう。暗転。暗闇に波の音が響く。コントロールされない、天然のサウンドトラック。目が慣れてくると、深い黒に波の濃淡が見える。十分に目が馴染んだ頃、特に予告もなく開演。ああ、デジャヴュ。波打ち際に並ぶ人、人、人。舞台は後方で水に沈んでいる。『nostalgia』では映像だったそれが、実際にそこにある。印象が繋がる。

細波に揺れる湖面が照明に映え、高濃度のブルーグリーンが遠く闇に溶けている。湖に冷やされた風の冷たさまでもが舞台を演出している。戦火の東欧、繰り返されるモチーフは創世記。ひとつの予定調和として、兄弟殺しは起こる。アベルの死を押し流すように、舞台に水が溢れる。演者らの奇異な身体のダイナミズムは、本来、感情移入の埒外にある。感情を語るのは、演者ではなく舞台そのものである。リズミカルにリリカルに飛沫が舞い、突如上空に花火が上がる。整然として濡れそぼつ人々の列。哀しみが満ちる。それは演じられる舞台ではないし、語られる舞台でもない。

眼前に立ち現れる光景に体が震えたのは、決して寒さのせいばかりではない。


【関連サイト】
「呼吸機械」《彼》と旅をする20世紀三部作 #2 - 維新派オフィシャルサイト

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