【閲覧注意】 気持ち好い体罰は高度なSMプレイ

ロリ顔巨乳フェチの女子高バレー部顧問が、これがわたしの愛情表現なのだーっと童顔キャプテンのJカップを揉んだら、当然、犯罪である。たとえ、バレー部を強くするために有効だったとしてもダメなものはダメだ。歴代の揉まれ部員の中には、先生のおかげでおっぱいの素晴らしさを知り立派なAV女優になれました!先生は決して間違ってません!と涙ながらに擁護する者もいるかもしれない。それでもやっぱりダメなものはダメである。もちろん、揉んで揉まれて幸せイッパイというエロゲ展開がないとはいわない。個人的な倫理観でいうなら、これはアリといわざるを得ない。ホントのあたしを知っても、嫌いにならないでね。

が、世間的にはそれでもやっぱりダメだろう。納得がいかないなら世間を変えるしかない。羽村センセと繭は逝ってしまった。で、体罰の話だ。適切に与えられる苦痛は、実は、快楽である。メンタルな共犯関係によってその快楽は無限に広がる。そのことに自覚的なのが真正のSM者である。俺だって殴るのは痛い!(高ぶる感情)だが、俺はお前たちのために殴る!(迸る情熱)…某泣き虫先生はSMの真髄をその天与の才によって感得していた。最も部員たちの心が震える方法で、最も殴られる快感が高まる瞬間に、ミスタ・タキザワは鉄拳を繰り出した。殴られた生徒は恍惚に震え、誰もがオレもあんな風に愛されたい!と身悶えた。

SMにおける女王様は主ではない。奴隷豚を気持ち良くしてやれない女王様は、ゴミ以下の存在である。深くて昏い心の共犯関係など、一朝一夕に築けるものではない。ズブズブの愛情、情熱、飽くなき探求心がなければ決してなし得ない。愛の鉄拳だーっと他人を殴ってひとり高ぶって逝ってしまうようなSは糞である。幼女にムラムラして愛してるよーっと奇声を上げながら強姦して果てる小児科医と同じくらい糞である。が、タキザワ式スポ根SMの快楽に憑りつかれたセンスのない糞が、稀に成果を出してしまうからややこしい。そりゃあ、偶然、運命的なM部員に出会うこともあろう。幸運を実力と勘違いする馬鹿は手におえない。

ともあれ。汗臭い運動部内で愛と暴力による隠微な共犯関係が形成され、脳内快楽物質がドバドバ迸った結果、ただの暴力教師と感じやすい生徒らによる美しい青春ドラマが生まれてしまう。そんな幸運も、現実には少なからずあるんだろう。むしろ、運動系に行きたがるような子供らはその素養を多分に持っていそうな気もする。ならば、タキザワ式教育を進んで受け入れる校風もニーズに合っているのかもしれない。その場合、必要なのはミスタ・タキザワ級の異能の調教者である。生徒らにもれなくメクルメク学園生活を約束し、決して調教前の素人を間違って殺したりしない。まあ、卒業後、生徒らが廃人化する恐れはあるが…。

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「結論覆す」、決意の反論=高校生8人、入試中止で会見―大阪市

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