マラソンは何故42.195キロなのか?

小学校低学年くらいの利発そうな少年が母親と話しているのを、聞くともなく聞いていた。

「マラソンてなんで42.195キロなん?」「ん?」「中途半端やん」「そうやねえ。なんでやと思う?」「うーん…昔は道の計り方がいまみたいにちゃんとしてへんかったから?」「それはあるかもしれへんねえ。でも、それやったらいまは42キロとか40キロとかにしたらええよねえ」「うーん」「距離の単位てキロだけとちがうから、他の国の計り方やったらちょうどなんかもしれへんねえ」「外国は計り方ちがうん?」「普通はキロやけど、イギリスとかアメリカやったらマイルっていう単位かな」「マイルやったらちょうどになる?」「うーん、それはわからへんけど」

正確ではないけれど、およそそんな内容だった。学校はもう始まっている時間だったから、病院にでもいっていたのかもしれない。会話はこの後も続いて、昔の日本にもキロじゃない単位があったとか、重さの単位も色々あるとか、そんな話をしていた。結局、母親も42.195kmの答えは知らず、「帰ったら調べてみようね」ということになっていた。別にどうという話ではないけれど、なかなかどうして、小学校低学年くらいの子供相手にこんな風に話せる大人というのは珍しいように思う。ぼくがあの少年を賢そうな子供だと思ったのも母親との会話あっての印象である。

電車や街中でよく見かけるこのくらいの年頃の親子の会話には、どうにも粗雑なものが多い。いい加減にいなしてみたり、いかにも教育してやるという態度だったり、自分のスマートホンに夢中だったりして、ちゃんと子供と向き合って話している姿というのはあまり見かけない。まあ、それだけ子育ては大変だということなのかもしれないし、時と場合によってはちゃんと話しているのかもしれない。わが子を叱る親を見て、なるほど、確かに子は親の背を見て育つんだなあと思うことは多い。ぼくには子供がないからわからないけれど、うまくやる自信はまったくない。

いずれにしても、自分の興味や知識いかんに関わらず、子供の興味に合わせて話をリードできるというのはちょっとした才能だろう。「マラソンは何故42.195kmなのか?」という疑問から発して、あの少年が学んだことは少なくない。家に帰って母親と一緒に調べるとき、また別な発見だってあるかもしれない。クダラナイと思って相手にしなければそれまでである。もちろん、子供はすぐに興味を失って忘れてしまうかもしれない。それでも、たとえ徒労に終わっても、興味や可能性を広げてやることは親が子供にしてやれる数少ない教育のひとつなんじゃないかと思う。

ちなみに42.195キロは26マイル385ヤードで、この半端にはちょっとした逸話がある。

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